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飼い主の私 JO母

Author:飼い主の私 JO母
J.O.(ジャッカル・オイ)のサバンナ日記の続編。

舞台をアメリカ南部の小さな町サバナに移し、『フンッ!』眉毛吊り上げ活躍中の愛犬。前世は黒人の奴隷だったと思う飼い主が涙ながらに綴ります。

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『好きでも嫌いでもない』と言う、オイに思う

友人Eの姑の犬、野の犬、コロちゃんが、突然亡くなってしまった。

そしてその1週間後、友人Eのダンナ、野のオトコ、大怪我。もう少しのところで、友人Eは母子家庭になってもおかしくない状況だった。

コロちゃんが身代わりになったと、友人Eも私も思う。こういう話は、犬に限らずよく聞く。

野の犬コロちゃん、おばあちゃんをアゴで使ったり、人の弱みにつけ込む狡猾さも持ち合わせていたようだったけれど、実は篤い忠誠心も持ち合わせていたのかも。

『こいつら、馬鹿。俺、狂う。でもいいんだ。好きだぜ。俺、死ぬ』 
ただの偶然でなければ、そう思っていたのかも知れぬ。正しい育ちをしなかった悪態犬であっても、実は思いっきり飼い主を愛していた、のかも知れない。それは誰もわからない。

犬の気持ちは、本当に判らない。

動物や植物の精霊と交信できる人の本を読んだ。

この人達であっても、山で偶然、クマのような野生動物に鉢合わせしてしまったら、一般的な行動で危険回避するしかないらしい。野生動物は、行動の枠から出る事は出来ないのだそうだ。

それでは、犬はどうなんだろう? 好きそうに見えて、嫌い。嫌いそうに見えて、好き。そんな事もあるのだろうか?


ウチのオイちゃんの思いを、スピリチュアル・メッセージを通して初めて聴いてから、早いものでもう1年。

その時、聞いたのは、飼い主の私の事は、『好きでも嫌いでもない』とのこと。オイにはコロちゃんのような殉死の心配は無さそう。

しかし、こう言われて、寂しくない飼い主も・・・、そうは・・・おるまい。

ただ、オイはどんなに自分の生活を、私に変えられたところで、『好きでも嫌いでもない』と思いながら、生きていくのでないかなぁ。

何かの魔法で、私が素晴らしい飼い主になって、オイの熱い視線を浴びるようになっても、『好きでも嫌いでもないよ』 また、もっとお馬鹿な飼い主に戻ったとしても、『好きでも嫌いでもないね』

どんなに私が熱血であろうが、冷めていようが、私の好感度、変化無し。


“私も私として存在していますし、あなたもあなたとして存在しています。特別、あなたを好きではありませんが、ちょっとあなたの人生に関りました。”

そんな素っ気ない関係ですが、それでも、私達は、もっともっと大きな、おおらかなものに包まれていますよ。私が存在しているように、あなたも存している。それだけの事でも、そこに愛を感じませんか?

与えられたメッセージを繋ぎ、解釈すると、こんな感じに今はなる。

ふーむ。
そういうコの“個”を認め、変わらぬ愛情を注ぎ続けるって事は、なかなか私も大志を抱いたものよ。そしてオイも、これまたチャレンジャー。


それから、オイが私の元に来た意味。内に籠りそうだった私に、外に目を向けさせて解放させるために、オイは私の犬になった、そうだ。

そう、その通りだった。

ご親切に甘えた私に、オイはあちこちに連れ回された。そして心に傷を負った。なのに、嫌い!と言ってもいないなんて。

『犬の本当の気持ちって、後天的なもので決まることって、あんまり無いかも?』と推測する理由は、実は、オイが私を嫌いと言わない事の方が不思議だからだ。


で〜も!

こ〜んな臆病になっちゃった!
ちゃーんと、借りは返してよねっ!て、その後、しっかり精算を求めてきたわけで・・・・



(本来は)淡白なあなたと私の関係でありながらも、愛とは厳しいもんだねぇ〜。


そのお陰で、私の意識を“外へと解放させる” オイの使命は、ずっと継続されてるんだよ。



“鏡の法則”とコインの力

本屋で立ち読み。

“鏡の法則”を読む。

オイと自分の関係に問題を感じたら、まず私自身の中に、オイが抱いているような感情を持つ誰か別の相手を探し出し、その人を感謝と赦す事が必要って法則なんだね。

でも齢も重ねてるから、家族の○○が嫌だった、お友達の△△に傷つけられた、お局の××が赦せん!と、思い出ミックス・ベジタブル状態で、やりだしたらキリがないような、誰を怨んでもいないような・・・・、よく解らん。どこで線引きしたらいいんだろう?

別の本を購入し、レジに並ぶ。

待たされる。

店員さんが私のためにヘルプを呼ぶ。後から来た店員、立っている私をすっ飛ばして、次の客を呼び会計を済ませる。『信じられない・・・・』 思わずつぶやいてしまう。

ハタと考える。

鏡の法則に則って、私はこれと同じ状況を誰かにしてるのか?優先順序を間違えて、誰か?何か?を無視し、しかもルードになっている事があるや知れん。


5-9.jpg


タヌキのマウス・ピース。
お互い、歯は大事にしましょうね。

ギョっとしました。



                    

咬みあわせ矯正のために、歯科医にまだ通っている。

ここの先生は、マウス・ピースに残った滅茶苦茶の傷の中から、歯軋りの癖を読む。

しかし、歯科治療全体としては、あまりに時間がかかりすぎ。3月末から通い始めて、今日、やっと歯周病と虫歯の有無をチェックで、レントゲン撮影になった。

私は喉の刺激がとっても苦手。一昔前、歯型を取るためのピンクのガムのようなフニャフニャと型を入れられて、『おぅぇ〜』 
指を突っ込んで外し、診察台にピンクのゴムを撒き散らした事もある。

なのに10枚も撮るなんて!

案の定、7枚目からエヅキだして、どう気合を入れても撮影が不可能になった。すると親切な歯科衛生士さんが、10円玉を顎に、1円玉を喉のくぼみ辺りに、セロテープで貼ってくれた。

気持ち悪さが消えて、私は元に戻った。

たったそれだけの事で!?

素晴らしい! この知恵はどこから来たの?


『あ、あのぉ〜』
診察台に戻って待っていると、やがて先ほどの歯科衛生士さんが気まずそうに言う。

『レントゲン写真に、10円玉の影が写ってしまいました!すみませんっ!』 
肝心の歯が1本、10円玉のまん丸影で消えている映像が写し出される。

彼女の仕事振りは、とても満足のいくところ。そして、こういう笑いを取られるのは、大好き!

私は軽快に、レントゲン室に戻った。小さな椅子に座って、部屋の隅を見ていたら、“全ては正しく行なわれる”と思った。


“鏡の法則”がオイと私にも当てはまるならば、願わくば、本屋での不愉快さでなく、歯科医での愉快さでお願いしたいもの。



気になる夢の続き

4月1日だからだろうか?

とっても良い夢を見てしまった。

場所は東欧らしきのヨーロッパの田舎国。私の恋人は国家レベルのエリート学生。明るい金色の髪の、思慮深さと情熱を秘めたオトコ。2人は貧しく、野暮ったい身なりをしているが、まったくそんなことは気にしていない。学食らしき場所で、見詰め合って笑う。何よりも信頼で結ばれてる2人。ロマンスもあるが、同志のような感じ。

私は肌が浅黒く、黒髪で、東洋系の顔立ちのオンナ。社交的で快活。自分で自分をこういうのも何であるが、パッと咲いたヒマワリの花のような、天真爛漫な女性。少々、学力は劣る。なぜか2つの言葉を操る。

その私が授業を受けている。

教授が尋ねる。
『この世の幸せを、キミは一度でも全身全霊で受け止めた事があるかね?』

教授、私を無視して他の生徒を次々に指名していく。

『え〜?おかしいじゃないの!私の体中に幸せのオーラが滲んでいるでしょう?その私になぜに訊かないの?』 私の周囲からも、私に同調する空気が流れる。

しかし教授に無視され続ける。あまりに無視されるので、『私の幸せとは、偽物なのかしら?これは幸せではないのかしら?』と序所に疑い始めて、不安になってくる。

1人でぼんやり川に行く。日に焼けた子ども達が泳いでいる。川の横には野戦病院なのか薬局なのか、看護婦が立ち働いている。

『こんな水質の川では・・・・』
『オイを泳がせて、遊ばせられないわ〜』とつぶやく。

ああ、オイちゃん!なぜにこんな夢の大事なところで、お前の存在が邪魔すんのぉ〜?
夢でありながら、まさに現実世界に戻ったわよ。

ここでぷっつり、夢も終わってしまった。

し〜かし、目が覚めてみても、まだ感覚が生々しく残っていた。オイの世話と最低限の家事だけ済ませてから、『もう一回、夢の続きを見てみよう』とソファに寝転んだ私は、馬鹿だろうか?馬鹿でもいいね。

残念ながら、夢の続きにはならなかった。 


あの後、私、どういう展開になっていくんだろう?

夢ごとながら。


バッサ バッサ 鳥

スピリチュアルって、宗教・哲学・心理学・呪術がすべて一緒になったようなもの。
(他にもまだあるかも)

『感謝』 『受け入れること』 『手放すこと』 『幸せ』 『全ては私の心の中に』

これが自分の中の納まる所に納まり始めて、一時、抱いた妙な腹立たしさや虚しさから解放された。

何とはなしに不思議な納得と言うのか理解が出来て、ホワ〜ンと心身ともに軽くなり、なんだか若返った気分。


うぷぷ。

200803101623000.jpg


椋鳩五は観てしまった。

この一見、おどろおどろしい写真は、鷺らしき鳥たちの喧嘩を、携帯で撮影を試みたもの。

しかし肝心の鳥、1羽も写らず。
私とオイが近づき過ぎたらしく、あっという間に、みんなで飛んで行ってしまった。
(真ん中、黒点が巣で、喧嘩の現場)

喧嘩の内容は、仲良し夫婦に、お隣さんがちょっかいを出し
『こんにゃろっ〜!』
『やるかぁっ!おめぇ〜!』

グワァ〜 グワァ〜、やかましかった。

オイと私なんて、これに比べたら、とても大人しい。




マナティ

どーしても我慢できずに、買ってしまった。

Manatee マナティ 
人間と遊ぶゆかいな仲間
福田幸広
6004001.jpg


『泉に落ちた天使』 マナティ
もしも彼らがいなくなったら、『地球はおしまい!』としばし思う・・・・・

この一説。あぁ、ここでも同じ事が語られるのか・・・・・
それにしても、どの宗教家も指導者も超越しているよ、マナティって。


話は一端変るけれど、スピリチュアルに興味を持ってから、しばらくして、まったく納得いかないぜ!と、妙に腹立たしかった時期がある。

大地の上で、神や精霊と共に生きてきた原住民と呼ばれる人達が、その文化も誇りも、生命さえ絶たれてしまったことをどう解釈するのだろう?

彼らの篤い信仰心も、共にいた不思議な力を持つものも、神さまも、彼らのために何の奇跡も起せなかったという事なの?

そして今、自分がその存在を意識しようとするモノ。

スピリチュアルだ、何だと言うが、にわかに神だ、魂だ、願いの力だと信じてみても、もっとそれに根付いて暮らしてきた人たちの魂が、悲鳴を上げたまま消されていったというのに、そうすることに、どれほどの救いがあるというのよ。

しかも彼らの犠牲の上に今の生活があるのに、キーワードの『前向きさ』っていうのが、納得いかない。

罪の足かせを勝手に外す。暗いものに気がつかない。あるいはそれらに前向きな解釈をつける。

そして、『私達はみな神に愛されてる』は、あんまりにも許せないじゃないのぉ〜!(と、自分でも驚くほど被害者側からの視点の私)

こういう経緯があって、改めてこのマナティとは凄い生き物だと思う。

人間を『あなたが神様なの?』って勘違いしちゃったところに、犬の不幸があるんだよと思った時期もあったけれど、人間も犬も似たもの同士なのかもよ。

この世で一番神様に愛されて、幸せに生きているのは、多分マナティ。

絶滅危惧種。


2-4-2.jpg

オイの顔にも虹が落ちるの。

嘘。
わざとそのスポットに座らせました。
『あなたの、そういうところも、み〜んな神は知っていますよ』





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