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飼い主の私 JO母

Author:飼い主の私 JO母
J.O.(ジャッカル・オイ)のサバンナ日記の続編。

舞台をアメリカ南部の小さな町サバナに移し、『フンッ!』眉毛吊り上げ活躍中の愛犬。前世は黒人の奴隷だったと思う飼い主が涙ながらに綴ります。

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犬シツケ お終い その14

年寄りの繰言のように、同じことをグダグダ重ねているだけになってしまった。
総さらいも、お終い、お終い。

私も犬の観察眼が充分に育ったとは、口が裂けても喉チンコ揺さぶられても言えない。
しかし、犬が興奮でガチガチの目になって、般若顔になっているのに、『ウチのコは、こんなに幸せで〜す』と人が言うのに、涙が滲むこともあった。
外に出れば、犬達の酷い様子をみて、胸も痛くなる。
プロのトレーナーが書いたものを読んで、『そこが、甘いねぇ〜』 『ずるいよ〜』
一般の家庭犬でも、『犬が悪くなるよ!気をつけて!』 とハッとする事があり、そして、『・・・・。やっぱり』となってしまう事もあり。
しかし、『犬の道は奥が深いからね、私には解らないさ』と、自分の観察力の無さに救われもし。

そして、そういう自分の犬は幸せかというと、オイも負けず劣らず、酷い顔。

こういうアンバランスになってしまった自分、快適ではなかったなぁ。
解放されたくて、仕方なかった。
相変わらずステップ・マザーのように、オイと向き合って、どうしたら良いのかわからず、憂鬱になる事も多い毎日を過ごしているのに。

しかし、N先生の指導を受けて、こう、度胸は付いたんですわ。ツラの皮が厚くなって、場慣れをした。
(ただ、もうあの張り詰めた、自分の感情を押し殺した、あの頃には戻れない。オイは関係無しに、自分を磨いて、オイがそれに自然に沿ってくれば良いと思います。というか、それしか出来ないです)

N先生も、犬を私という人間に人質に捕られながら、数々の事をデポジットで教えて下さいました。何も成長しない人間に弄られて、犬がいつまでも苦しんでいる姿は、先生をも酷く苦しめさせたと思います。人嫌いの私には多分、出来ないです。

それから、苦しんだ事で、多少精神力もアップしました。
スーパーに行って、楽しそうな家族連れを見ると、胸が切なくなって、ウハウハして、籠の中にオイの食べ物満載にしてたんです、私。それが気がついたら、無くなっていましたわ。
他にも、苦しめてくださったことが、僅かながらでも力に変わって、オイを助けているのでしょう。有難いことです。

犬を語り合える友人、犬を介した社交界も、側にはおりませんが、寂しくもありません。
オイと過ごす時間。ささやかな幸せが、私にも充分な幸せですわ。こういう世界を知らんかった。人への興味と、犬は別かな。

オイも、野生の警戒の顔に戻ってしまう事もあります。けれど、庭でフリーで遊ばせていても、私が歩き出すと、サッと脚側につきます。
厳密に言えば、それは信頼ではなく、『何か、仕事、寄越せ!』の、作業犬魂なのでしょうが、呼ばれても来ない犬とか、ボールを咥えて離さない、飛びかかり、踵齧りはすべて解消しました。5歳にして、遊びのレパートリーをどんどん増やしそうです。


最後に。
犬のブログを読んでいると、パターンがあります。
何かの失敗や犬の行動に困っていると、同調して寄せられるコメント。飼い主の罪の意識を軽くする言葉の羅列。
そんな中で、私はあなたとは違う意見を持つと、このブログで厳しいコメントしてくださった方々を、私は密かに尊敬しています。本当にありがとう。




何を犬にON・OFF させるのか? その13

服従訓練競技会を見学しました。
(オイは自宅待機。シェパード、ウヨウヨの環境で、気を失ってもいけないと思って)

目の前を、あるシェパードと訓練士さんと通り過ぎたのに、釘付けになりました。なぜかと言いますと
『好きよ、好き。あなたが好きよ〜。ワクワク、ウットリィ〜』とそのシェパが言っているから。
しかし、競技が始まり、あっけなく失敗して終了。
可愛いかったなぁ〜、あのコ。訓練士さんと共に、今後、厳しく精進されよ!なのでしょうが、今の私とオイの理想です。

ところで、その日はとても日差しの強い、暑い日でした。
なのに、どの犬達もオイよりずっと、素晴らしい動作で競技をこなしていきます。 オイも基本はできますが、あの環境では勝負にもなりません。脱帽です。

ただ奇妙なことに気が付きました。
順番待ちの間に垣根の影で、『伏せて休め』を命令される犬達に、1回のコマンドで従ったコが一匹もいない。
まず地面の匂いを取り、自分で安全を確認してなのか、それから3、4回、更にしつこく促されて、やっと従う。しかし、それさえも勝手に解除してフラフラと立ち上がるコが殆ど。
私はプロ・アマ混合の種目を見学していましたのですが、何だか自分の想像していたものと違っていて驚いてしまいました。
同じ犬と同じ指導手なのに、『競技』 と 『待ち時間』のどちらをフォーカスするかによって、まったく違った事になってる!

お隣の種目で、とても立派に競技を終えたトイ・プーが指導手と戻ってきました。
指導手の緊張感が切れたのか、そこから立ち話が始まり、その間、プーちゃんは好き放題です。私のバックの中に顔を突っ込んでも、誰も気が付きません。
実は、すぐ側のシェパがウヨウヨ並ぶその列の中に、まったく制御の効かないコがいました。『ダンベルで鼻ツラ叩け!』とまで人に言われているのに、まったく事の重大さを感じていない方が指導手。そして、ついに、その犬を周囲の人達が囲んで、制御しているような状況でした。チョロチョロしてた、プーは危なかったのよ、とっても。

それは、訓練(競技)の時間にオンしている暮らしの典型だと思いました。
私の理想では、クレートを出た瞬間に、オイは、『』にオン。(気恥ずかしいが)
私の方も、“気”は、ケージからオイを出す時には、すでにピークになっております。
そして、集中力はウルトラマン並にしかありませんから、競技終了であれば、何はさて置き、オイをクレートに速やかに戻して、オフ。
目指しているものが違うのです。だから、日頃の態度が違っていても当たり前なのだぁ〜と改めて知る。

私が『このコは、指導手のことが大好きなのね』 素晴らしいなぁ〜と思ったのは、先ほどのうっとり・シェパ(訓練所のプロの犬)と、警察訓練所の段違いのレベルの高いコと、アマチュアの方の1組だけでした。(観察力無いから、見当ハズレかもしれないけど)

シツケ教室で興奮して吠えまくるオイと、泣きべそかいてた私が、目指していたのは、あの世界の中でも僅か。犬世界の底辺が、中間端折って、ほんの一握りのトップを目指す! 
しかもオイは、私が行なった数々の残虐行為によって、トラウマだらけになってるオゥシーであって、ゼロからのスタートではないのです。

(ここにいつかは出ようなんて、凄いこと、目指していたんだなぁ、私・・・)


オフの時間を観察する方が、底意地が悪くて、他のコに喧嘩を売ったり、『ここで休みなさいよ』と言われて、『けっ!うっせぇよ』と悪態をついたり、他人にヘラヘラ愛想振りまいていたりと、犬の本音が見えてくる。
観察力の無い素人が犬を勉強するなら、訓練競技会の待合所は、いい場所です。
競技のスイッチの入った犬からは、性能に目が奪われがちだし、本質はなかなか解らないもの。だって、仕事が大好きな犬って、多いのではないかしら?



人の気持ちと犬の気持ち その12

素人の思いを書きましたが、プロのトレーナーさん達にも、
『うわ!大切なことをあれほど伝えたのに、肝心なそこはカットかよ・・・』 
『あの部分だけを勝手に切り取ってみても、効果ないんだって!』と歯軋りするよな思いも、またあるのだと思います。
素人の思い込み、勘違いも、とても怖い。私も都合の悪い事を言われると、『あの方法は、効果が無い』だの、『オイには向いていないわ』などと平気の平左で言い放っておりました。
そして現在の私も立派な素人の端っくれ。こういう者が語る事は、責任も無いし、あまり当てにもならないのです。

ただ、自分が経験した道を辿ってみると、『不思議な世界だった。矛盾だらけだったのに、そこに気がつかなかったぜ』 と思う事が多々あったので、そう考えるきっかけをもう少し早く、自分が持てていたらなぁ〜と思うのです。

犬のシツケでややこしいのは、〔人間の目に見えるもの、そこから推測する犬の気持ち〕と、〔実際の犬の心と、犬の潜在意識に働くもの〕が、違うという事です。

一般的によく言われる事ですが、W田先生はオイを観察して
○散歩に行く気配を察して、ドアの前で待つ興奮は、催促です。
○テーブルの下で、私達の膝に顎を乗せ、食べ物がもらえるのを待つこと。控えめな催促で、今のところは一見問題は無いが、根本は吠えて催促するコと同じ。( → 案の定、食事中に隣の部屋に入れて置くと、催促吠えをするように)
○オイに川に棒を投げてやると、『もう1回、投げてぇ!』とお終いだと言っているのに、その場を動かない事を伝えた時も、『立派に、指図していますね』
しかし、ダンナも私も、『こんなに可愛い顔をして、人にお願いしているのに?』 『オイには自主性も必要。気が小さいので、ノビノビ育てます』と、間逆の判断を下していたわけです。

N先生の指導を受けて、自分なりに、もう少し深いところで、犬の行動を観察するようになりました。

例えばオイに排泄を命じます。
昔のマーキングの女王だった時代に比べ、決められた場所で、指示された時間にするようになったオイは、それはそれで大進歩なのです。
しかし、生活の前後を観察し、心穏やかで無いものをオイに感じます。ならば、排泄場を変更です。いつもとは違う場所に連れて行き、『ここで、peeせよ!あの場所(排泄場)を自分の縄張りと勘違いしていないかい?』 *注 習慣を変更させられる事は、犬によっては非常にストレスだそうです。自己判断で私は、オイには『可』としましたが、どの犬にも問題ないというわけでありませんのでしょう。

オイは、草の匂いを取った後で、短い時間のうちに、一応は排泄を済ませました。しかし、そこから少し離れた場所で、いきなり、せっせと土を掘り始めました。
『これは、“土蹴り”バージョン換えの“土掘り”だ〜!(怒)』
一外に指示通りに排泄したから、ハイ、褒めましょうでは、まったく無い。
こうして、『どこが狂っておったのだ?』とまた、思い当たる限り、自分の過去を洗って原因を見つけ出していく。それを改善し、自分をオイに合うものに、チューニングしていく。本当は、大抵そういう自分が解っていて修正できずにいる事の方が多いので、オイのこういう悪い振る舞いは、もう オイからの 『あんたダメ!』 の宣告に近い感じ。

回りくどくなってしまいましたが、『褒める』も『叱る』も、そうやって、その時の自分達にベストのものを探り当てていくものだと思うのです。私はオイの心を掴めていない人間ですので、試行錯誤中です。

実際には、その時のムードにもよりますが、日常では落ち着いて褒める事が多いです。
遊びの最中は、『よっしゃぁ!!』『そうだっ!』『オイちゃん、良いコォ!』と腹の底から叫びますが、そんな時は、殊更、オイを撫でて優しい声で褒めたりも致しません。
律儀なプロ意識に(勝手に)燃えるコなので、あのコがそこで味わっている快感だけで充分。リーダーたる自分は、自分を主役に、子分の働きぶりを喜べば良いのだ、とも思います。
しかしそれも、いつかこれは正解で無いのか、正解でなくなってくるのか、解る日が来るのかな? というところです。

また、こういう犬&人の双方で気分が乗っている時は、相当要求の厳しい私でおりますが、オイはそうであればあるほど燃えてくるようです。(こういう種の“褒め”もある) 
犬は能力の高い生き物なので、自分の成し得た達成感の喜びも感じるし、チョロイ仕事で褒められても、『アホくさ・・』とも感じるそうで、これも確かにオイを見てると、納得です。

犬の道は人の道、ともよく言いますが、こういう『褒める』『叱る』には、感情が出やすく、人の本性が垣間見える事もあります。そこで私の人格が問題もなってきます。
N先生のブログには、んまぁ〜、私、そんな事、言われちゃったわ〜! 満載。どうもN先生の指導を離れても、やる事なす事、頓珍漢な間違いばかりしているらしく、それは劣った人格の反映、現われらしいです。(なので、このブログはそういう失敗例としては役に立つかも知れません)

また犬の失敗をさせずとも、先日の記事、その10に挙げた犬の表情、僅かな行動からも、自然と犬の状態が把握できるものらしいです。それがいつまで経っても出来ない人間とは、『感度の劣った人間』となり、私はそれが出来ないので、『くだらない飼い主に飼われた』不幸な犬としてオイは今日も生きているという事です。

なるほどねぇ〜とも思いました。
こういう嫌な指摘こそ、飼い主の改善に必要なのに、それをして下さるトレーナーさんは、あまりいない。そういう意味では、ありがたかったと思っています。
いずれにせよ、自分の人格の無さがオイを悪くする最大の理由なのであれば、自己改革をしなければ。自分自身のために、という事ですが。



犬を語る言葉の誤解・矛盾 その11

『服従』 『主従関係』 『上下関係』 『リーダー』 『陽性強化』 『強制訓練』
これらの言葉から、イメージするものとは、意外にも人それぞれなのだなぁ〜と思います。
私もかつて、服従、服従!と周囲から耳にタコが出来るほど聞かされていましたが、
『それでは服従って何よ?』『犬のリーダーって何よ?』
尋ねても、さっぱり解りませんでした。人の答えもマチマチでした。

オイの最初の訓練士(訪問指導)だったW田先生は、『服従こそ!』の方でした。ある日、W田先生にオイが排泄の後、土蹴りを始めたと伝えると、酷くがっかりされた様子でした。
しかし、同じ『服従こそ!』派であっても、それを『犬の個性』とか平気でおっしゃる方もいる。そして、『服従など必要ない!』とおっしゃる方が、『生意気!許せん!』と言いもする。
だから、素人が混乱するのも、当たり前。

私がN先生の言葉で、『おぉ、そうだ!そうなんだろうな!』とあまりに斬新で、胸を打ちぬかれた言葉があります。(そう言いながら、いつもの私のいい加減さで、言葉は正確で無くお恥ずかしいが)
犬の伏せは一般に服従の姿勢と言われていますが、
『服従、服従などと騒がなくても、犬は好きな人の前で伏せをしたがるものです。服従、服従と人に強要させられていた犬は、人が病気や怪我などで力が落ちた時、露骨に伏せなどしなくなります』
N先生ほど、厳しい服従必要論を唱えている人もいないような気もしますが、言い換えれば『服従不要説』にも取られる言葉です。
で、これが犬の道の奥行きというものだった。

しかし、なんつーんでしょうか、私も含めて、そこに辿り着けず右往左往している者が簡単に発する、上に掲げた言葉には、恐ろしいものが勝手にいくつも憑いてまわりますな。

以下は、ここ1年半、小姑根性で私が世間を見回し、感じるようになった事です。私は素人なので、という殻にも守られておりますので(爆)思ったことを思ったままに、素直に(笑)

まず、私が思いますに、犬のシツケには、○○法などと言わずとも、大きく2つのカテゴリーに分けられると思うのです。

犬の能力が低い vs 犬の心が腐っている

面白いほど、これで区分されます。
みのもんた(顔が似ている)訓練士は、『服従こそ』派の方です。しかし、この方も基本のシツケで餌を使います。仔犬が本格的に教室などでシツケを受け始めるのは、ワクチンの免疫が落ち着く5、6ヶ月頃とします。
果たして、この月齢の犬に、たかだか『呼び戻し』を教えるのに、餌は必要なのだろうか?
『伏せ』も『座れ』『待て』も、どれも犬が自然界でする行動ばかりなのに、餌を与えて刷り込みさせて教えなければならない程、犬は能力が低い生き物なのか。
この方の餌を使用するシツケは、リーダー・ウォークをはじめとする毅然としたリーダー論もあっての事ですが、そんなもの使用せずとも犬はキチンと理解できるとしたら、それはやっぱり犬を低く評価していると思うのです。

犬が正しい事をしたら『褒めろ、褒めろ!とにかく大袈裟に褒めろ!』 というトレーナーさんもいらっしゃいます。それに対して、オイは訓練所産まれのコですが、そこのパンフレットには、『犬を必要以上になでない。なでるのは5秒以内(なですぎると犬が優位になります)』と、シツケ項目にあります。
私は思うのですよ。犬が自然界で、ごく当たり前にする行動に、人が大喜びする必要、あるの? 犬とはそんなに感度が鈍い生き物なの?

100歩譲って、こうやって大袈裟に褒められて、犬が『興奮』ではなく(あるいは恐怖に惹きつけられているのでも無く)、純粋に大喜びしているとします。
しかし、なぜ、『あなたがリーダーですよ!』と勘違いさせるような事をするのか、解りません。そう野望を抱かさないように、裏で100回、蹴飛ばせと続くのか?(犬はそういう野望を抱かない・犬にリーダーは不要派なら、理論として理解できる)

犬はとても賢い生き物です。正しい事をしたならば、『お前は正しいことをしたよ』と認めてあげれば良いだけだと思うのですよ。人をリーダーだと認めている犬であれば、心から『嬉しい』筈です。それで充分理解できる能力があるはずです。私も、以前は、まったくそんな風に考えたこともなかったけれど・・・・。

アメリカン・カントリーおばさまがビデオの中でおっしゃっていました。それを聴いた場所は動物病院。私は足元に停座訓練中のオイが居たので、言葉の正確さには欠けます(またかよ!)。しかし、大筋では間違ってはいないと思います。
『犬は順位社会で生きる動物です。問題行動の殆どは犬が、『自分は上位だ』と勘違いすることが原因です。そして犬はいつも上位になる機を狙っているのです』
『ですから悪い事は悪いと教え、そして出来るだけ褒めて育てましょう』
ここで、ガクっとコケそうになりました。
『問題行動の殆どが、犬が自分が下位だと勘違いする、自信の無さが原因です』 ならば、全然、問題無いのだけれど、『あなたが、犬のリーダーとして存在するなら、犬のそういった野望を押さえ込む暮らしを心掛けるのが、第一です!』 となぜ、続かないの? 起承転結の、転をくれぇ〜!オバサマ〜、です。

長くなるので、ここで一端止め。続く。
それではお前はオイを褒めないのか? リーダーにもなれておらんではないか?と言われるのが嫌なので、続く。

ちなみにオイのお里のパンフレットの最後のページに
◎1年たったら、もう手遅れ!
と黒太文字であります(笑)
これも犬の能力を低く見ておるなぁ〜と言いたいところですが、力なく笑っておきます。



犬の頭が冷静になった、その後で その10

ここからが、本当の勝負なのかしら?

どれもオイと私の経験だけから言っておりますが、以前とは比べ物にならないほど賢くなった頭で、『こいつは私のリーダーとしてふさわしいか』人を見定め、審査する時期が始まったように思います。
シツケの方向性だけが解らず悩んでいた人と、心根の歪んでない犬の組み合わせであれば、もうとっくにそんなものとサヨナラしているのかも知れません。
人間の感覚で言うと、『お前は、姑息で、狡猾な卑怯者だよ!オイ!』と絶句したくなる事、しばし。

オイは、吠えと脱走が悩みの犬でしたが、それ以外には、私の心に隙間風を(かなりきつく)吹かす程度で、それほど酷い問題犬でもなかったように思う。
しかし、触られるのも嫌なくせに、私の通行を邪魔するようによく寝そべっておりました。
また他にも、食事を用意している間、いきなり野良犬のように振舞い始める。お尻を人に向けて歓迎の挨拶する。なぜか必ず私に背を向けて寝る。これらはN先生に伺って、謎が解決しましたが、問題行動と認識されないながらも、根本は同じでした。

冷静な頭を持った後半は、もっと陰湿な(?)『お試し』になります。水を飲みたくもないのに、そんな振りをして付き添わせたり。
また、ワガママも良く見えてきます。遊びに行くならいいけど、排泄に行くのに、芝生が濡れているのは嫌だと?冗談じゃないよ!とかね。

正確にはこの時期ではないようのですが、命令には絶対服従だ!と意固地になり、オイの体の不調を見落とした事もあります。peeをしたくないのではなくって、出なかったオイを責め立てて、N先生にこれも注意を受けました。犬の世界に立ち入る事は、本当に危険が潜んでいるのだと思います。(なので、どれもお薦めではないんです)

こういう私のいたらなさ、オイの執着もありますが、しかし実際には、昔とは比べ物にならないほど、従順にもなってきた。世間で言う問題犬の要素も無くなり、それどころか、犬に無知な一般庶民限定ではあるが、世間さまからも、褒められる犬にもなってくる。
でも、心が寄り添っているかは、また別の話で、それでは何を持って判断したかと言うと、サバンナ日記で書いたものを単純にまとめましたが

○瞳 澄み具合、輝き。瞼の緊張度。白目の充血
目の表情は見極めが非常に難しく、私も今でもわからないけれど、最近、心が解放されるようになってからの方が、かえって、『おっ!?』という瞬間がある。(だからどーした?ではあるが)
解りやすいのは、虚ろな、視点の定まらない瞳。濁ったり、世の中を拒絶したような、膜を貼った目。自分独りの世界に入っている時の目。
○緊張の鼻水、ヨダレの有無
○顎・胸、ソケイ部の赤み
○舌の色、動き。
○呼吸
○排泄物、行動、姿勢、回数
○訓練時の姿勢
○耳や鼻の動き 
○身震い
○人や犬に対する興奮度・媚
○吠え
○怯え
○食事
○人に対して、引く行動が見られるか。でしゃばりの有無。
ワガママによる独りよがり・その葛藤が見られるか。
○毛艶、毛玉、フケ、脂ぽさ、皮膚疾患
○健康

こんなところだったかな。犬とは、これらで本音を語るものだと知りました。少し言い方を変えると、どんなにカモフラージュしても、ここに本音が出るっていうものか。

私が、犬とは!犬とは!なんて頑固なんだ!と崩れ落ちそうになったのは、オイの“自分スタイルのおしっこ”のこだわりの強さです。
ヘレン・ケラーのウォーター!の開眼が、私にはオイのおしっこ。
神経を張り詰めながら暮らしている私に対して、あくまでも自分のおしっこスタイル固執せざる負えないオイを見て、自分の精神力などでは、もうどうにも太刀打ちできない、生物に感じられた瞬間でした。

その反面、今まで難しかった事もどんどん可能に成り始めます。
私もかつて、オイが出来ない事の数々に様々な理由をつけていました。
“オゥシーだからね”“この年齢だもの” なんて格好のエキスキューズ。つまり、犬の性能が低いと言っておったのですわ。
ところが、オイでさえも、出来なかった事を数々可能にして行きます。小刻みに停座位置をして修正している姿を見て、ここまで器用であったのだ!と驚きました。
それは犬の性能を過小評価していた、自分の傲慢さを見せ付けられたも同じです。
そして、そういう行動で示し出したオイを見て、ますます自己改革できない自分に、自己嫌悪も増していきました。



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