犬に対する思いやり その2
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子どもにお使いを頼む。犬をシツケる。
お小遣い(エサ)があればやるぜ。
あんたが上手くおだててくれれば、やるぜ。
あんたの指示が的確なら、やるぜ。
自分の好きな仕事ならやるぜ。
その他諸々、条件が合えば、楽しくやってやるぜ。
と言う犬を望まず、
私はオイを
『さぁ、頑張っていらっしゃい。
お前が出来るように最善の配慮はしました。
母も覚悟を決めました』
で、送り出してあげたかった。
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犬のための配慮とは、命令の伝達経路を上から下へすること。
『私が上。お前が下』を明確にしてやる事。
語りつくされた言葉だけれど、たかだか基本的なシツケで、犬がやらないのは、やれないのではなくって、やる気が無いからだ。『下から上へ』『横から横へ』の伝達経路になっているから、犬はやる気になれないという考えは、間違っているだろうか。
犬に関係を誤解・混乱させるような接し方を日常にしておきながら、何かの『指示・命令』を出す。シツケ・訓練と称して連れ回す。
とても理解しがたいような混乱と、無理を犬に強いていることになる。
犬はシツケ・訓練の時間だけ、『は〜い。あなたがリーダーで〜す。そういう事にしておいてあげますよ』なんて都合良く演じてくれるかもしれないが、それでは何のためのシツケ・訓練なのだか意味が無い。
それ以外の時間も、犬と関る時間の全て、『お前は下!』
これを隙なく徹底させてやることが、犬への思いやりなのだと思う。
オイはソファに乗って休むことが許されなくなっても、長い間、そこで休むことに執着した。
そして、私はその度、オイをかなり激しく叱って何度も追放した。
ある朝もそうだった。隙を見て、またオイはソファで丸まっていた。
ダンナが言った。
『あぁ、オレと2人の時は、よくここでオイは休んでるよ』
憤る私を制して、オイを見るダンナの笑顔が、語っていた。
『オレはこうするオイが、可愛くって好きなんだよねぇ〜。上下関係だのウダコダ言わず、平和にやろうよ。犬は友達だろう?』
これほどズレがあるシツケを施されていては、さぞかし不幸な犬だと誰もが思う。
その通りだ。
でも現実はもっと酷い。
ダンナのあの笑顔の心は私の中にも、しっかり存在しているからさ。
どんなに消そうとしようにも、消しようが無く、私は私の中には、いつまでも矛盾する2つの心がある。私もオイと上下だの、主従関係だの、服従だの言わずに、ただ甘やかしてあげたい。弱い私を救って欲しいという気持ちまである。
その私自身の矛盾からくるしわ寄せを、全部背負っている犬、それがオイちゃんなのよ。犬ほど上下関係に敏感な生き物に、緩く生きてきた人間の生半可な隠蔽で、それが隠せるはずもないもの。
お使いに出す子に、最善の配慮をしてやる。
母はその覚悟を決めました。その『覚悟』とは、犬にとって不要な混乱を招く、『自分の中の、(ダンナと同じ種の)笑顔の心を、閉じ込め続ける』ことだよ。
何だか、昔の古臭いメロ・ドラマのような話になってしまった。
離婚した母親が、置いてきた子どもの登下校を、影からこっそり涙こらえて見守る・・・、あれね。目新しいものも何も無し。
でも、私は犬と暮らすなんて、これができりゃ、後は何にもいらないんじゃないか?とさえ思う。
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