どうして犬に負荷を与えるのか その6
犬にですね、楽しいお仕事を与えるとメキメキ成長します。
オゥシーと暮らしていたら、アジリティとかフリスビーなんかの競技に惹かれます。こういう犬の特性を活かしたシツケ・訓練であれば、犬にも負担無しで、お互いも楽しめるし、これは素晴らしい!って思います。いや、その道のオーソリティの犬達を見て、『ここにはそれ以上のものがある!』感激するかも知れません。
それとは逆に、犬の特性にプライオリティを置かず、犬の体を拘束し、停座・伏せ訓練を入れたり、様々な負荷をかけたりして、『諦め』 『我慢』 『忍耐』 『義務感』を培わせるというと、何だか犬を虐めているようです。
最初は鼻息荒く、いきり立って始めますが、『犬に服従を強いれるほどの価値が自分にはあるのか?』『犬を何とかするなんて、人間の傲慢さではないのか』 やがて心の中に芽生えてくるものがあります。内なる葛藤をねじ伏せて行います。暑さとか寒さ、膀胱の限界との戦いも辛いけど、こちらの方も辛い。
その上、関係の無い、他者からも冷たい視線や好奇心を感じます。
『犬の信頼を勝ち得る事と自分の立場(保身)と、どちらが大切なのだ?』これまでおまけに付いてきます。
やがて従い始めた犬を見て、征服・達成感に快感を覚え始めます。その時こそ、傲慢な人間に成り下がってしまっているというのに気が付かない。自分が犬に何を求めたのか見失う。そして我に帰る。
これは犬も辛けりゃ、人間も辛い。
しかし犬はもっと辛かろうと、鬼の教官を演じ続けるわけです。
でも、こうやって涙の鬼の教官の手で育てられた犬には、恩恵が付きます。
何時間も車に揺られる。ケージに閉じ込められる。リードに繋がれる。お湯を掛けられ、泡立てられて、熱い風に当てられる。爪を切られる。ブラシをされる。注射される。口にブラシを入れられる。怖い人、犬、得体の知れない子どもという生き物との遭遇する。
そんな時、飼い主の命令に、自分の我など無く不平なく従えるコとは、心身に負担の少ないコです。嫌がって暴れるコは、興奮して暴れて、自分で自分の恐怖を煽って、窮地に追い込まれて行く。
楽しさだけでワガママに育てられたコとは、いつも楽しさと引き換えの、『何か』です。自分の中で選択枝を持っていて、より強力な楽しさに惹かれたり、不愉快なことは素直に受け入れません。受け入れたとしても、かなりの精神的な混乱が伴うはずです。
犬は楽しく暮らすべきです。
なのにワガママな犬は、面白おかしい毎日を送っているように見えて、不幸なことも連続して起ります。我慢や諦めを知ってるコは、それから解放されます。
エゴで生きてる人間が、犬のエゴを取り去って、自分で背負ってやったからだと思えばいいのかも知れません。
こういう精神性を培われたコと、それを可能にした人間であれば、やがて犬の目は活き活きと輝き出して、服従とか忍耐とか、そういうものの辛さからさえも解放されるそうです。
我慢や忍耐のシツケ・訓練が敬遠されるのは、その趣旨を理解されなかったり、到達点までいけずに、失敗している多くの人達とその犬を見るからです。
けれど、そういう方法ではなく、犬の欲を満たしてあげる楽しい関係を突き詰めていけば、犬にも精神力が培われると信じる人は、そうすれば良いと思います。
しかし、その関係に辿り着くまでにかける犬の負担を思うと、私はそれを選択したいとは思いません。
以上、JO母の想うことです。語ってはみましたが、犬のシツケ・訓練は個人実力主義なので、だから何なのさ?と突っ込みも自分で入れながら。(あ、だからと言って自暴自棄になって落ち込んでるって訳じゃないのよ〜ん)
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