子どもの頃の記憶
そうだった。
暗い月明かりの部屋のフトンの中で、涙がホロホロこぼれてきた。
私に届けられた、スピリチュアル・メッセージ。
『とても張り切って、あなたはこの世に生れてきました』
『頑張るよっ!』
(と言った後で、どうもちょっと感じが違ったらしく、訂正される)
『頑張るよ!』
もっと小さな声が、正しいらしい(笑)
それでも、意気揚々と生れてきたんだそうだ。
とっても難産で(笑)
しかし、道半ばにして、あまりにもこの世での修行が辛く
神様と契約した試練を(こういう表現でいいのかな?)
泣きついて、軽減してもらったらしい。
これ、とても私らしいエピソードじゃないか!
スピリチュアルの世界は、正直、信じたり信じなかったりだけれど
神様、ありがとう。
高原からの帰り道、炎天下のスーパー・マーケットの駐車場で
ガソリンの匂いを嗅ぎ、胸が苦しくなった。
夜は随分と涼しくなり、クーラーの寝室に居たくなかった。
風通しの良い部屋のフトンの中で、ひとり、ぼんやりしていた。
オイは、クーラーの部屋に疎開して行った。
『その試練が軽減された時って、いつだったのだろう?』
小児喘息だったんだろうな、と解った。
父親は、自分が子どもをプールに通わせたので直ったと思い込んでいるが、たまの休みに、たま〜に市営プールに連れて行く程度で、直るかい。
現実的には、私は成長して体力が付き、自然に治癒して行ったんだろうね。
しかし、30代のある日、声が出なくなったぞと思ったら、
ヒューヒューと息が出来なくなった。
『軽い喘息ですね』と診断されたが
そんな医者の言葉は、あまりショックでなかった。
それより、その前夜、大袈裟でなく背筋に寒気が走ったようだった。
『私は、この苦しさを、覚えている』
記憶に無いようでいても
体はちゃんと覚えているもんなんだね。
3ー5歳の頃。そう。
小さかった私は、喘息の発作に、
もうなす術も無いし、受け入れるしかない事を
わかっていたような気がする。
両親は近くの医者に、私を抱いて駆け込む。
晩酌の後の医者は、『またか』
随分不機嫌そうに診察したらしい。
しかし、そう親や医者に看病してもらいながらも
なぜか誰も頼れないし、誰もこの苦しさから自分を救えない
世界観のようなものがあったような気がする。
無抵抗そのもの。
それが小さな子ども、なんだろうね。
今思うと、私の人生生涯の中で、一番誰にも依存しない
精神的に独立していた時期だったのかもしれないよ。
無知で無力とは、こういう事なのか。
あの頃の私にとって、発作は恐怖や絶望ではないの。
けれど恐怖や絶望の中にいる。
受け入れている。
なにもかも、自然なことだった。
息を吸っても吸っても、胸が潰されそうだというのに。
そうして年を重ねて、恐怖に対する恐怖も覚え、
抵抗するし、痛いのは嫌だし、文句は誰よりも言うし
神様には、現世の利益をねだる大人になったわけ。
あの頃の自分は、自分でないような
何だか、随分、偉い子どもだったぞ。
不服も辛さも、何もなかった。
(しかし耐え切れず、神様には泣きついていたのか)
スピリチュアルな世界も
難しいことも、良くわからないけれど
小さな自分を思い出して
『そうだった、そうだった』
こう、涙が、ただハラハラこぼれるの。
しみったれた話はやめな!
ワタシみたいにガンガン行きなさいよっ!

