山の川遊びの合間、princess court (別名:愛子のコート)で犬と遊ぶ。
木陰に呼んでやると、勢い良く私の足元にドテッと倒れるところなんぞ、我が愛犬にprincess の気品無し。
少し離れた木陰にはキノコ狩りの留守番担当の爺さんも休んでいるが、構わず私も草の上に横になる。私にも、queenの気品無し。
雲が美しく、空を眺めるのが大好きになった。
高原の芝生の庭を駆け回る私の犬は美しく、空気は澄んで、空は高い。
薄い雲が流れて行く。面白いねぇ、下の雲ともっと高いところの雲は、まったく別方向に流れて行くよ。
あっという間に姿を変えてしまうし。
自分の心も、これに良く似ているなぁ〜と思う。
何も考えない頃も夢中になっていた頃も、こんな当たり前の事に気が付かなかったな。
留守番爺さん、どうも立ちションしているらしい・・・。 下男の品格じゃないか。
自分の前世に
『黒人のオンナ奴隷。アメリカ南部。優しい人格者のご主人の下で恵まれた環境。賄い。台所のストーブ(オーブン)が温かく有難かった寒い日。岩のように大きく、緑の服を来た怖い人。鍋。床磨き。長いドレスの下から覗く美しい靴』 昔アメリカの南部を旅していて、なぜか頭の中に浮かんだ事を、数年経って思い出した。
その後、オイの事でスピリチュアル・メッセージを訊いた時にわかった私の前世の1つ、
『黒人。アメリカ。小さな男の子。奴隷の時代より近代だが、黒人故の理不尽な差別や虐待を見て育だつ』
そこで、当時非常に珍しい事なのだけれど、白人の女性教師から教育を受けもする。生徒としての自分は、取立てて何てこともない、その他大勢の中の凡庸な1人であったという感じ。
そこは学校ではなく、大きな組織の経営者が従業員のために、私的に設けている教室。とても進歩的な経営者の下で、恵まれていた。
何と言うか、大筋でそう外れていない。私はスピリチュアル能力が無いので、これがマグレの一発当たりの可能性大だが、それでも良い。
こうやって、パズルの欠片を1つ持っていると、後から『もしや?』くっつく事やヒントもあるから、面白いもの。
どこかの時代でも社会の最下層。その中で“比較的、生活に恵まれて”、“ほんの少しだけユニークな体験”を重ねてきたような気がする。
今は働き者のダンナのお蔭で暮らし向きは楽だけれど、よき母と妻であり・・・ごく平凡な日常、普通の家庭を幸せと言うなら、やっぱり枯渇しがちな愛情ピラミッドの底辺で生きているのかしら。
思い起こせば、まだ20代、もっとも輝かしかった年頃でありながら、禿げのオカマに
『あんた達みたいな底辺がいるから、ワタシも輝けるのよ〜』とシミジミ感謝されたのも、何か意味のあるメッセージだったのだろうか?
意識的に、小市民のささやかな、せこいと呼ばれるような幸せから、もう少し大きなものまで、満喫してみよう。何かしら楽しみにつきまとう、罪悪感を排除しましょう。
贅沢を味わってみよう、もう少し正直に、積極的に生きたとしても、そう悪くはなりますまい。
爺さんの仲間達が、山から降りてきた。竹篭背負っているから、キノコと思い込んだけれど、いくら何でもキノコには早すぎるよねぇ?
それにしても、爺さん達が乗り込む、派手なスポーツ・カーのミスマッチが笑える。
さて、オイ、帰るか。