まだ勝手に語ってる、スピリチュアルと犬

小布施・蔵部の栗ごはん。
ごはん粒が栗に付いてるところに、厨房の忙しさを窺い知りました。
小布施の沿道には、栗の実が沢山実ってます。
イガが丸くって『可愛い〜』と言うと、『栗は大きい〜!』 と返事するダンナです。
(私の知ってる範囲の)スピリチュアル世界に心を寄せてみると、一時、(私の思う)犬の世界に混乱を招くことがある。
犬の世界観の大原則、『従うか、従わせるか』に、まったく必要の無い情感・情緒を痛く刺激されるからです。
それに何かを『従わせる』なんて、邪道だと思える心境になっておるので。
それから、子どもの頃の満たされなかった自分やら、大人になってからの屈辱経験をもう一度振り返って見てみよう!として、これが、あちゃちゃ、素人メッタ打ちにされまくり。
惨めな気分に浸っておると、オイもやっぱり良く無くって、苛々が募ったようだった。
最近、ある方とお話をしていて
『仕事を依頼するなら、自分より他人を選ぶ。自分はいい加減で嫌い』と言葉が口をついて出てきた私。
『どこがいい加減で、嫌いなの?』 その方。
『例えば、明日の朝は早く起きよう!と決めても、朝になるとどうでも良くなって、早く起きれないことが嫌なの』
『ふ〜ん。そうなの〜』
で、ここで閃いたのが、あんた、それでも大人か!のレベルだけれど、
『ならば4日間だけ、早く起きて土手の散歩に行こう!』
こうやって小さな達成感から自信を付けていきましょうね、と言う意図・計算は一切無し。
実際に4日間早起きして土手を歩いたのだけれど、それは別に楽しくも無かった。
ただ少し前に、心に浮かんできたものが2つあって、それがなぜか、“楽しみなさい”と、“少し戦ってごらん”だった事。
土手を歩く事は、別に何の感激も残さなかったけれど、そうか!それを思いつく事が楽しくって、愉快であったのか!と、今になって知る。
面白いねぇ、こういうの。眠気と面倒臭さとは戦ったし。
世間では“偶然”とか“こじつけ” “当たり前”と言い、スピリチュアルな世界では、何かからのヘルプがあったと感謝する。たとえまだ小さくても応援団をつけているかいないかの違い。
単なる興味本位や猜疑心は、消えつつあるの。
も少し、続く・・・・。
何と言っても、釜戸焚きのご飯が美味しい。でも、☆減点。
多分、しばらくは行かない。
食前酒で酔っ払い、『猿より赤い、キミの顔』のお恥ずかしい状態であっても、
シビアに評価。

