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飼い主の私 JO母

Author:飼い主の私 JO母
J.O.(ジャッカル・オイ)のサバンナ日記の続編。

舞台をアメリカ南部の小さな町サバナに移し、『フンッ!』眉毛吊り上げ活躍中の愛犬。前世は黒人の奴隷だったと思う飼い主が涙ながらに綴ります。

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風に雪の舞う、こういう日はとても寒いので、オイは納戸で朝から寝かせている。臀部だけでなく前脚の筋肉も落ちすぎて、随分痩せたようだ。しかし、もう少し暖かくなるまで、寝ていな、オイ。

トイレ・シートは貧乏長屋の障子のように、使える部分を寄せ集めては頑張っているが、これは、やはり、臭うわ。

庭で排泄をさせていた頃は、私が管理していただけで、日に最低5〜6回は「へい、へい」と応じていたというのに、今では私が知る限りでは、1日3回程度の排泄で事足りるようす。ジュワ〜と水量豊富に、捨てたいシートの良い位置にしてくれると、「でかした!オイ」
1日が好調に始まるような気さえする。

排泄の後には、庭に運動に出した。こんなに寒いのに、日陰に積もった雪の中をわざわぜ選んで遊び出す。いったい、お前の適温温度とは何度なのだ?心配無用なの?
興奮症の犬って、体温も高いし皮膚もむず痒くって、雪に身体を擦り付けると気持ちが良いのかも。そう観察していると、雪だらけになったオイがこちらをジッと見ているんだけど、それが
「あんたが近寄ってきたら、そのまま遊びに持ち込む!」 手の平返しの顔とポーズをしておる。
「ふん」

トイレ・シートにpooをすると、お外に落っこちちゃうこともあるので、周囲にティッシュ・ケースの空き箱をシートにして置くことにした。新聞紙よりも、耐久性があるもの。
また、今年はもっと、小まめに暖房のヒーターを切る。時々、オーバーを着込んでテレビを観ているダンナの姿にギョッとするが、知ったことではない。

それから、ささやかな応援として、納豆やお豆腐などの大豆製品は、必ず国産大豆を使用しているものを選んで買うことも決めました。


犬の名前

犬の雑種を英語で何と言うの?と訊かれた青い目の若造、「mutt」と答え、「それはあんまりだわ!」と言われ、言葉に窮していた。

今日、「俺んちの母ちゃんはHeinz 57と呼んでると言っていた。いいな?これ以上、文句言うな」 (訳&彼の胸の内予想JO母)と教えてくれた。ステーキ・ソースのへインズは57種類の材料で出来てるそうだ。

Heinz 57
可愛い名前じゃないの! 何かの縁でHeinz 57を家に迎える事になったら、Heinz 57 そのままを名付けよう。私は犬の名前は、陽だまりに咲く野の花のような、簡単で可愛らしい名前が好き。北欧系の、ごく短い名前をどうだろう?と思っていたのに、そんな想いも虚しく、ウチにやってきた仔犬は、無慈悲な暴君に「オイ」と命名されている。

「そんな呼びづらい名前、ダメだ」
「大丈夫。きっとヘイちゃんって呼ぶようになるから」

オイとヘイ。運命の繋がりさえ感じる!
しかもオイの方が、より音がはっきりして先住犬の名前らしい。新入りの方が名前が長くって偉そうなのが嫌なので、オイもその時は、ouy 52に改名だ。(5月2日はオイの誕生日)

今日は大雪。ガレージに座ってオイは、「雪かきして、働く婦人の見学」。私よりも近所の人妻が気になって仕方ないらしい。



迷惑な贈り物

西欧人は、神は天に存在、幸福は空の上にあるものと考え、故にバレエは、トゥシューズを履き、つま先立ちで「天に、より伸びるように、より近くに」と、踊るのだそうだ。

それに対して日本人は、豊かな実りをもたらす大地こそが幸せの源であり、「地面に根を踏ん張れ」とばかり、腰を落とし、地面を踏みしめるように踊る。

リードを解かれたオイが一挙に駆け出し、突進した。キャビアに付く小さなパンケーキのようなものが(食べたこと無いけどあんな感じ)、溶けた雪の間にポツンとある事に気が付いたけれど、時すでに遅し。

ウチは坂道に建つので、塀は結構高い。なので投げ入れられた差し入れとは考え難い。ダンナも身に覚えが無いというし、出所がまったくの謎。天からの“カラス”を使ったプレゼントとしか考えられない。幸せは天にあるのか?

オイには忘れられないような贈り物でも、これはまったく大きな迷惑!
地面の匂いを落ち着き無く嗅ぎまわる姿も品行卑しく、「それでいいのか?」と苦々しく見ていれば、ハッと野生の警戒心を丸出しにしてこちらを振り返る。

先日、良い感じで庭を一周走り、そのゆったりとした態度がとても嬉しかったというのに、あれは夢か幻か。嬉しい時、さりげなく、そっと鼻面を押し付ける可愛らしい行動も、黙っていてもトコトコ私に付いて歩く姿も、あっという間に消えた。

「雪の下にまだあるんじゃないのぉ〜?」 
キャビアのパンケーキ(のみ)で、あのコの脳みそは一杯。

臀部の筋肉が落ちすぎたオイなので、係留中に活発に動いてくれるのは嬉しいところなんだけど、これでは困る。オイに天から与えられた大地の幸せは、それじゃないのよ〜。

犬と走れば

12-14


ビヨヨヨ〜ン
私、伸びるの。オゥシーだから。



吹雪が止んで、透き通るような青空。

お尻の筋肉が落ちすぎちゃったね、のオイと散歩。ピーンと張りつめた冷たい空気の中を雪を踏みしめて、一緒に走る。

生き返るような気持ちの良さよ〜!

グランドで遊ぶときには、もうとっくに排泄の心配はご卒業されてるオイだけれど、いまだに土手でも団地内でも、ただの散歩ってヤツは難しい。

今日は土手の短い距離を、いつでも撤収できるように往復。最初はピョンピョンふざけて伴走していたオイだけれど、少しずつ真面目になってきた。私の顔を見つめながら走っているのが誠に宜しい。しかしお気に入りのスピード(私の全速力)で無いと、私の顔への興味を失うらしい。頬の肉の揺れのダイナミックさが違うのか?

うっすら汗をかいて、ベンチに座る。足の裏に付いた雪玉、取っておきなさいよと言うと、ガジガジ齧る。
こういう足やお尻に付く雪玉が我慢できずに、勝手に座り込んでいたコだったのに、ちょっとお利巧さんになったじゃないの。

オイにも私にも、ホント、気持ちの良い午後でした。犬と走るって、(10m.単位でしか走れないんだけど)
最高ね。

日本の龍よ、目を覚ませ。の旅

「日本の龍よ、目を覚ませ。あ〜た、和太鼓、聴きに行くわよ!」

「日本龍はずっと前から目覚めているよ」 嫌がるダンナの腕をがっしり掴み、行ってきました、佐藤健作・和太鼓公演「不ニ」

これはコンサート会場で聴くよりも、神社で奉納する時、その時こそ聴きたいものよ。長野の霊峰、戸隠で修行されておいでですし、いつかその機会があるのではないか。その時こそ、是非。

「怖い」
子どもの声を聞きつけて、失笑するダンナ。プログラムの曲×5分で、2時間程度だなと見積もった後、シートに深々沈み込んでいながら
「プッ。オイみたいな子どもがいるぞ」

(余計な事、言うなぁ〜、まったく。それに違うよ。本当のオイの魂だけが引き出されたら、あのコは踊り出すよ。きっと狛犬のようにさ)



パンフレットの中にゴッホの言葉を見つけました。

−いいかね、日本人たちがわれわれに教えるものこそ、「真の宗教」とも言えるものではないだろうか。彼らはとても素朴で、みずからが花のように自然の中を生きている

頭を垂れたくなる言葉でないの。



インナー・チャイルドの旅

「あなたが嫌いと伝えてくるオイであっても、その感情に同調しない」

だからこそ、私はオイを「懐かしい日本の農家の軒先犬」のポジションに置いたのだよ。これが自分達の良い距離を保つ精一杯だったからだよ。しかし、何度も脆く崩れそうになる。

今朝は、オイの顔を見て、「何をぉ〜!(怒)」大変、不愉快だった。不愉快ではあったが、「それを責める資格はあるのか?」と自問し、感情を腹に押さえ込んで車に乗り込んだ。

結局、オイに媚びてる自分が判っているからなんだよねぇ〜。

私の思う「犬に媚びる」とは、「自分を嫌いにならないでね。好きでいてね」と「(犬が自分を)頼ってくれて、嬉しいわ〜」があるのだけれど、この感情、小学校の頃のイジメ経験から持ち出したものだって、もう潔く認めることにする。

あの頃、お教室には2人の女王サマがいて、彼女達のお気に入りの取り巻きが数人と、一番下っ端達で構成されていた。私はもちろん一番下っ端。で、この女王サマに、「あのコ、嫌い」と指名されると、そのコは即座に「イジメ」の対象になる。毎日、明日は我が身!と、戦々恐々。実際、何度も標的にもされたし、学校は憂鬱な場所でもあった。私はドン臭く、お勉強も運動もさっぱりの子どもだったから。卒業する年になり、その女王サマの1人が失権。登校拒否にもなって大騒ぎになった。でも子ども心に、「そう主張すれば、学校に行かなくって良いし、気にかけてもらえるコって、いるんだ〜」と、まるっきり他人事でいた。

あの頃のクラスメート達との感覚。駆け引き。処世術。歪んだ笑顔。惨めでも、無理やり納得させる自分の心。「卑屈さ」「卑しさ」の芽が、種を出してスクスク育ち出したんだねぇ。


「嫌いにならないでね。あなただけは裏切らないでね。あなただけは見方でいてね、オイ」
当然、犬はそういうタイプの人間が嫌い。
私を嫌いだという目でオイが見る。

そのオイに過剰に反応する私。

どう断ち切ればいいんだろう。途方に暮れる。

んで、もっと問題なのは、そういう潜在意識がいつも姿を現していてくれるとは限らず、姿をチラリと見せても、また序所に煙の中に消えて行ってしまうこと。尾っぽを掴んで引きずり出して、曝け出しておきたいけれど、それも出来ないので記録。



前世への旅

年始、スピリチュアルの話で盛り上がり、私も前世の旅に出てみる事にした。

「これは前世の記憶の破片かしら?」と自分が感じることの殆どは、「私は下流階級に生きている」共通点がある事。臆病なお百姓でありながら、戦に駆り出され、とんでもない惨めな辛い経験をさせらえたような気がするの。負の記憶として烙印を押されているならば、これは「解放」してやりたいじゃないの。

ところが、意外な事に、「前世の旅」が始まってすぐに、マリアさまのステンド・グラスが浮かんできた。天井の高い教会だった。更に驚いたことに、とんでもないような豪華なドレスをまとい、自分は人々から祝福されていた。私たちの赤ん坊の洗礼式だった。丸々とした健康な赤ん坊がベットに寝ている。夫は、何と言うか、宝塚の男役のようなイデタチ。黒髪に近い髪。体躯も良く、賢く誠実な顔をしたハンサムだった。自分の友人達と赤ん坊を見ていた。
私はダンナを「愛しい人」と心の思うがままに呼んでいた。出産で人並みに苦労したのだろうか、「私の赤ちゃん」とも胸を一杯にさせながらつぶやく。全ては完璧で、私は世界中を愛し、それと同じ強い磁力で世界から愛されている幸福な女だった。



(あ〜〜あ〜〜〜)

どうやら前世への旅が、自分の願望を知る旅になっちゃったようだ。人間の潜在意識にはすごいものがあると思う。99パーセントが潜在意識で構成されていると言われれば、それも納得。こ〜んな乙女チックな願望を、私は未だに胸に秘めていたなんて・・・。うぷぷ。


ダンナが帰宅した。車から降りてくるのを待ちながら、「はて?こやつはあのハンサムな私の愛しい人(当時)の生まれ変わりだろうか?」と、念のために観察してみる。

ダンナと目が合った時、私達はどこか前世でも会っている。違う顔だけれど、この目は知ってる。これは確信するよ。


排泄、その後。

雨が小粒の雹に変わった。
朝のひととき、ソファに座って、玄関先のシェードで跳ねて落ちていくのを眺めてみる。

ポンポン ポンポン。
時々、ポーン。
軽快で愉快な動きだねぇ。

窓辺で寝そべるオイ。

ウンチを体内に抱えたオンナ。

静かに、お行儀良く丸まっているようで
お尻の不都合な動きは序所に高まってきている。

ペット・シートが浮き上がるほどのpeeを朝イチでした。しかし汚れたシートの上での排泄の続行は、自分のポリシーが許さず、pooを持ち越しされている。


昨夜、寝る直前に水を珍しくガブガブ飲んだ。
最後のお風呂から上がって、ハウスの中で眠っていたオイを起して、「peeしてきなさいよ。あんなに水飲んだんだもの」と促した。オイ、グフ〜と言いながら出てきて、「気持ちよく寝ていたのにィ〜」
私を無粋者だとを訴える。

「それじゃぁ、真夜中に・・・・ヒュン ヒュン・・・」
オイが非常事態で私を呼ぶ鼻鳴きを真似してやる。

「そしてその後・・・・」
耐え切れなくなってする悲鳴に似た吠えを、口を尖らせ真似する。自分でも上手いと思う。

「いいわね、こんなみっともない声で呼んだって、絶対、今夜は助けに降りて来ないよ。I mean it!」 
ビショビショの毛布で寝る羽目になったて知らんからね。

オイ、「やめろ!やめろ!」
自分のみっともなさに気が付いて、恥ずかしさのあまり耐えられないらしい。


そして、まったく問題なく朝を向かえたオイ。気持ち良さげに長いpeeをする背中は、したたかなオバサン風情でもあり、無防備で無邪気でもあって、ひそかに笑える。




犬と環境問題

「最初」が済んでしまえば、別に特に、何ていう事もなく、オイは淡々とペット・シートで排泄をしてる。「不本意なんだけどね。するよ」背中に文句を滲ませることもあるけれど、それで構わない。

しかし、この汚れたペット・シート、ゴミになる。
大判シートを敷き、汚れた部分に小型版を敷いて隠して・・・・、と出来るだけ節約に努めているけれど、こんなに贅沢にゴミ出しちゃっていいのかなぁ〜。

人の手の入らなくなった里山の手入れをする代わりに、間伐材を薪ストーブ用に持ち帰ったり、販売できるシステムが県内でも出来て、そういうアイデア、いいねぇ〜とシミジミ感激した。炭職人も復活した。

廃材を利用して、犬のペット・シートかトイレに使用できるものはないのかなぁ。

オイと戸隠に行った帰り、遊んだ山は人の手が入って、とても良い自然の玄関口だった。人間が手をかけて、守られる木々っていうのは、これかと思った。

そして自分もそんな環境の中で、暮らせたらどんなに素敵だろう・・・・・。

ダンナは山へ芝刈り。私はポーチでダンナの帰りを待ちながら、ペット・シートを作る。月に1度、里の公園で製作方法を伝授する。

今年はもう少し活動して、自分のお仲間を探そ。



排泄場を変えよう!

「懐かしい日本の農家の軒先犬」

この距離感を保てているか自問してみる事。
今のところ、やっぱりこれがオイとの暮らしのブレを一番知る良い方法だなぁ。そして、それはやっぱり難しかったよ、年末年始。

自分が「家族の1員」であることを意識するような行事があると、しかし最後には、どうして私のオイは、人間の子ども達と同じ扱いを受ける事が出来ないのだ!と、どうしようもない憤りが湧いてくる。
あまりにも理不尽じゃないか!オイだって、私の大切な、大切な・・・。

「大切な犬だよ」

年始ではあるが、時を選ばずして、犬として生きてるオイなのに、自分はまだまだエゴをぶつけずにいられないんだと、気がついてしまう。

さて、さて。そういうベタな思いは鎮めて、と。

冬の間に1つ課題がある。
それはオイの排泄を、どこででも出来るようにする事。排泄場に使ってる庭の端は、雑草も生えない荒地になってしまい、雪の溶けたドロドロで足が汚れてしまうのも困っている。それにpeeの量や色も判らないし、オイの将来の事を考えて、ペット・シーツ上でも出来るようにシツケ直しをしよう。
天候の悪い真冬や真夏は繋留時間も短く、人間が管理がしやすいので、今がチャンスなのではないかと思う。

いつもの場所で「出来ない」と事がわかると、オイまるで1人絵巻。
瞼を下げて困惑顔だったのが、私と視線を合わせなくなり、ケージのドアを睨め付け、昔懐かしい野生顔になった。更に時間が経過すると、目頭が赤く染まって、目ん玉をギョロつかせた般若顔になっていった。

最後のpeeから19時間後に膀胱に限界がきて、ジャージャー。
pooは12時間後に、オイとて、もっと原始的な自然の呼び声に応えないわけにいかずに。


穏やかなお正月

毎年、1月2日は実家に集合。

婿殿が2人欠席で(自分のも含む)今年は、特にの〜んびり。母のおせち料理と、それぞれの持ち寄り料理(弟→蟹を解凍後、分解。妹→馬刺し盛り付け。そんな中、私だけ海老をニンニクで炒める!)を食べ、トランプやWiiで盛り上がる。

「○○君夫婦(妹夫婦)の子どもだと・・・」
「生れてくるのは、男の子の方が無難だなぁ」
妹夫婦の顔を思い出しながら、去年の帰り道言ってたダンナ。イノシシベイビーは、案の定典型的なアジア顔の細い目に、鼻穴が上を向いた赤ん坊だ。しかし赤ん坊ほど、愛らしいものなどこの世にあるか!時々自分に似た表情をするので、あまりの可愛さに泣けてくる。

お飾り

お飾り

爺婆の手作りのお飾り。
羽子板の裏にはイノシシ・ベイビーの名前も綺麗に刺繍されていた。
赤ん坊の曽祖母の襦袢も使われて、とても美しい。

dad

mom

師走の1日。日差しの温かな部屋で孫娘のために製作中の両親。
イノシシの子が将来グレたら、「千の風になって」を歌いながら、私がこの写真を見せてやる事になっている。
私の口約束に感激した母は、「次はお前の犬も作ってやる!」と言った。 

やった〜!イノシシも作っているし、簡単だと思うよ。

米俵の上に乗ったオイが出来上がるよ。


良い年にしよう♪

12-20-2

2007師走のオイ。年賀状の撮影会に参加。

とても良い年でした。感謝の気持ちで一杯です。
ありがとう、ありがとう。

今年も良い年にしましょ〜♪


大晦日から元旦は大雪になりました。

私も浮かれます。オイもです。

1-1-2


「雪って、興奮するわ〜」
一端、雪が途切れた午後、空き地で大暴れしました。

「明日も遊びなさいよ。お正月なんだから、お年玉hourがあってもいいのよ」







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