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飼い主の私 JO母

Author:飼い主の私 JO母
J.O.(ジャッカル・オイ)のサバンナ日記の続編。

舞台をアメリカ南部の小さな町サバナに移し、『フンッ!』眉毛吊り上げ活躍中の愛犬。前世は黒人の奴隷だったと思う飼い主が涙ながらに綴ります。

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南の国の客人 パート2

毎日、マンゴーを食べている。


ムシャムシャ。
ベトベト。


ダンナが南の国に出張に行った。あのわめき坊主の家の庭に、なぜかマンゴーの木が1本はえているらしい。それが丁度食べ頃で、袋一杯土産に頂いて来た。

日本のものには敵わない(と思う)が、甘くて美味しい。


ダンナと再会した坊主、今回はなぜか、とても大人しかったと言う。すわ、鳥インフルエンザじゃないの?と飛び上がりそうになったが、ダンナの言うことを要約すると、以下の通り。

●自分の周囲のオトコの力関係を序所に察するようになり、わめき坊主もついに俺と自分のポジションの隔たりを理解するに至った。俺の前では、本能のまま、ごく自然に従順になるものである。

『もう2度と、あの息子は泊めないと宣言する!』 
イッチョ前に被害者ヅラしておったのに、これで容認派に一転。
あんたねぇ〜。
しかし、確かに、ダンナが帰宅した時、蜘蛛のコ散らすように逃げておったわ。

あの日、家に着いて間も無く、ダイニング・テーブルに足を乗せてアイスクリームを食べていた坊主。親が注意もしないので、黙って下ろすと睨み返してきた、あの坊主。

阿鼻叫喚の夕食の後に、またテーブルの上に踵を乗せた。私の顔を伺いながら、ただ私の出方を見る、それだけのために。
その時は、もうあまりの酷さに(こんなの序の口)、呆れ果て疲れていたのと、肥満児にその姿勢はきついからいいや、と知らん振りをしていたのだけれど。



・・・・・・・よく似た話があるものだ。






オイのご不満

わかっちゃったのである!

オイの言ってる事が、今日も!

それは前後の状況も行動もまったく脈絡なく、突然、閃いたというか、伝わったというか。
オイは何の用事があったのか知らないが、トコトコとリビングから出て来て、通り過ぎて行くところだった。

受け止めた事を表現すると、こんな感じ。
『私は充分に大人で、マチュア。なのにあんたは子ども扱いし過ぎる。下らない事に煩い』

驚いた後で、(はぁ〜?お前、それなら、もっとしっかりしてくれよ!)
これが最初の思いだったが、それを引っ込め、そーか、そーか、それなら大人のクールなお付き合いをしましょうと私は考え直したのである。

しかし、この言葉の解釈、難しい。

『あんたが礼儀だ、何だ、キチンとやれ!と言ってる停座だの脚側だの、私には何の価値も見出せないね。私は充分な大人であり、私が価値があると認める事こそ、与えられるべきものだ。もっと私の意志を尊重しなさい』
なのか
『私はあなたが子ども扱いするから、あなたがキチンとやれと言う事をするのが嫌になる。もっと私を大人として扱いなさい』

どっちかなぁ〜?

まぁ、子どもぽい扱いだけは、止めてやるね。きっと、頭撫でられたり、よしよしって言ってもらうより、お前は出来る!さすがである系の褒めが、お好みなんだよね。



感謝の気持ち

1にも2にも「感謝の気持ち」が大切。

どんな相手にも、感謝の気持ちを忘れてはいけない。


・・・・そうは言っても、難しい・・・・・


お相撲さんの「可愛がり」の事件で、昔の関取が言っていた。この可愛がりを「感謝の気持ち」に昇華させてしまう者は、決して横綱にはなれず、坊さんの道がある。

横綱はいつまでも恨みで精進し、一生を終えるのだろうか?そんなこたぁ、無いよね。
坊さん派だって、傷ついた心はそう簡単に癒せまい。御仏さまの前で「○○(兄弟子の名)のバカ!アホ!さっさと成仏しろ!」木魚を叩く腕にも力が入ってしまうに違いない。


大雪の後、やっとお日様がニコニコ。暖かい。
私が非常に感謝したいお相手の方は、朝からpooを出さず、情緒面にも多いに不安が有り(雪の興奮はすごいねぇ)なので、本日は特別に外には出かけず、庭でゆっくり過ごさせている。

月曜日は、掃除の日。

振り回していた掃除機を片付けてから、私も庭に出る。

オイは私の握った雪玉やツララを齧るのが、好き。手垢も味のうちらしい。齧り付きたいオイに「座って、待て」をかけ、雪玉が溶けて崩れていくのを一緒に眺めた。暇なオンナの贅沢な時間。そして、これが訓練と言えば、訓練の日々。横綱は遠い、世俗尼僧の日々。


オイと並んで座り、ただ心穏やかに、平和に、静かに呼吸をする。

この時、情は不要。魂のエネルギーの強弱による会話も不要。
オイに背負わせた心の傷の数々がやがて癒える事。
隙を見て行なう、悪行の理由がわかる事。
上下関係のある暮らしと、まったく平等な魂。

これはちっとも矛盾しない事よ、と最近感じ始めているのだけれど、もうちょっと深く知りたいところ。



ワクチンと天使

友人Eに聞きかじったばかりの「○○の法則」とか、スピリチュアル方面の話しを偉そうに聴かせる。

「うん、うん。なるほど〜。そう言われてみれば、そうだわぁ〜」などと友人Eはさも判ったように答えるが、(違う、違う。そういう簡単にわかっちゃう話でないの!) 
非常に不満である。話している本人がよく分かっていないのに、勝手に理解されては困る。

最近、その友人Eがホームセンターで、女手1人で重い家具を取り出そうとした時、人手の無いその店で、奇跡的に店員さんが通りかかり、しかも更に奇跡的な事に、その店員さんは親切に商品説明までして、レジまで運んでくれたと言う。

「これ、守護天使のお陰なの?」

「そうです。その店員さんがその時、天使だったかも知れません」

重々しく、必ず天にお礼を述べるように念を押しておく。私もこの時ばかりとエバる。しかし数日後、その店でまったく同じ商品がバーゲンになり、「これはどういう意味なの?」と訊かれ、窮する。


その友人Eが最近、子どもの予防接種の事で非常に悩んでいる。過去の薬害問題がまったく活かされていない、旧態依然の業界体質であること。効果そのものが疑わしいのに、薬害の恐ろしさをまったく知らされず、無知のまま子どもに接種させてしまう親。「ヒステリックにならないように。犬も同じみたいだけど」としか言えなかった。

その日の夕方、興奮した友人Eから電話。
「天使が、天使が舞い降りたの!」

話を訊くと、図書館にその手の本を探しに立ち寄った彼女、本が見つからず、通りかかった司書の女性に声をかけたと言う。そしてこの方こそ、脱ワクチンの先駆者だったそうだ。隣県から引っ越してきた彼女は、偶然、ワクチンの危険性の問題提起した医師の近所に住んでいたのがきっかけで、いろいろと実情を学んでそれを実践した人だと言う。そしてお薦めの本をいくつか紹介してもらったらしい。

流れから言うと、「脱・ワクチン」なのだろう、と思う。しかし、それを私は言えないし、自分の子どもであっても、「だからと言ってワクチンを接種しない」ことの決定はできないと思う。まして母・友人Eはもっとそうだろう。迷える子羊は、やっぱり迷える子羊。ただし、母よ、心強く、穏やかに決心なされよ。そのためにスピリチュアルの本は役に立つと思うんだけどな。

G・シェパの服従訓練を観た!(DVDで)

1-1-3

雪飾りで装う犬。 祇園界へのデビューには程遠い。

“雪遊びは楽しいどすえ”



犬の服従訓練をDVDで観た。オイと服従訓練で切磋琢磨したいわけでもなく、犬の世界そのものに、すっからか〜んと興味を失っていたのだけれど、久々にちょっぴし好奇心がうずいた。

日本のカリスマ・ドック・トレーナー、セニョールC、アメリカン・カントリーのオバサマ、ブリテッィシュ・マンと続き、今度は「(正調)ヨーロッパ・トレーニング」世界一周の旅。

トレーナーの印象は、このオジサンの住んでる屋敷に呼ばれ、夜トイレに目が覚めて、この方の肖像画の前を通らなけらばならんばならないのなら、私は泣く。(そして漏らす)

犬はジャーマンだった。

シツケ教室にで数回、まだ幼犬のジャーマンと一緒になった。(本文に関係ないけど、ただでさえも酷い状態なのに、このコが加わるだけでオイのビビリはもっと激しくなり、脚側の輪にさえ入れなかった)

あるシツケ教室の日、駐車場で車の中から、エバって吠え立てているジャーマンに気が付いた。

「ちぇ」今日もオイちゃん、最悪のおバカさん落ち決定だ〜、困ったなぁ〜と思いながら通り過ぎようとすると、そのジャーマン、叱られて、バシバシ顔をパンチされているが目に入った。この犬を指導したがった人は多かったと思う。(本文にまったく関係ないけど、オイは、その頃すでに見放され犬)

その後、素人同士の立ち話からの知識吸収によると、ジャーマンとはそうされても決して萎縮することなく、むしろ精神が活性されるらしい、との事だった。

まったく犬界のキング、ジャーマン、そこで見るくらいにしか今も昔も縁のない犬種だけれど、確かにおっとりとして、他犬の影響も受けず、やんちゃでマイ・ペースなのを見て、「神経が太い犬だ、オイと大違い(本文に関係なし)」と思った。

しかしこのヨーロップのジャーマンを観て、「お前、怖いんでしょ?怖いんでしょ?このオジサン、怖いんでしょ?」と気の小さい私には、犬の気持ちに同調してしまい(想像)、ドキドキ。私が犬なら、泣く。そして漏らす。これが「強制訓練法」と言われるものなのか、その名残を引くものなのか?

犬に与えるプレッシャーのきつさ、その後の解放でありながら解放にしない緊迫感。嫌悪感と褒め。これが服従訓練だと言われれば、「そう、その言葉に則った名称です」 素人に言葉からくる余計な混乱を何重にも引き起こしたりしないはず。

技術も面も、この動き、すぐに息のあがるオバサンには、社交ダンス並のハードさ。きっとプロ向きなんだろう。出来るものでなし。

大切なこともいくつか教えてくれたけれど、ジャーマンも気が小さいのか、たまたまそういうコだったのか?とか、オイにあれをやったらどーなるんだ?口から肝が飛び出すの間違いなしとか、まったく違うところで感心している私は、やっぱり素人らしく、それはそれで良い。





幸福の団地王子

何とはなしに庭を見ていたら、玄関ポーチでまどろんでいたのオイが、飛び起きて疾走!
そのダッシュがマジで凄ごい!

(な、何だ、何だ??)慌てて目で追いかける。


つ、ついに私は発見してしまった。

スズメが一羽、何かを口に咥えて、塀に止まっているのを。

スズメはやがてチョンチョンと塀を伝って行き、オイはそれを追いかけて行った。地面に何も落ちていないのを確認しながら、慌てて。

一羽と1匹は、オイの態度からして、旧知の間柄である事は明白。

以前、キャビアのパン・ケーキを庭に落としていったのは、このスズメだったのだろうか?
塀に囲まれ、紐に繋がれた犬にも、人間の知らないドラマがある。

しかし、いったい、このスズメは何の目的で?

幸福の王子の使者は、ツバメ。
しかし、もしかすると、この団地にもどこかに心清きお金持ちがるのかもしれない。
オイの様子を見て、「あの哀れな犬に、食べ物を!」
やがてキャビアに添えられたパンケーキを恵んでやりたいと願った。

時期悪く、賢いツバメたちはみんな南の国に出払ってしまている。
団地王子は仕方なしに、そこら辺をうろついていたスズメに頼む。
スズメ、別に南の国に帰る予定も無いから、切羽詰って王子の願いを叶えたりしない。
いつも沢山のお仲間が一緒なので、孤独も知らない。

「虫が食えなきゃ、クズ食べて生きろ。それだけのこと」
先祖代々、DNAに組み込まれて生きている。
「石なら吐き出せ。実なら飲み込め。それだけのこと」が座右の銘。
貧しいことの辛さなど、微塵も感じず生命を受け継いできた。

それでも日本人に馴染みの深い鳥ゆえに、「適当にするよ」を条件に
団地王子の願いを受け入れることにする。
しかし仲間とチュンチュン言い合っているうちに、何を頼まれていたのか忘れてしまう。
目的地には何とか来たものの、大きく的を外して、庭の片隅にパン・ケーキを落す。

幸いな事に、鼻と勘が異様に良い犬の才能もあって、団地王子の願いは叶う。

久しぶりに庭に出た犬に、「今日は醤油煎餅を運んでおあげ」
王子、再度、スズメに願う。
しかしスズメ、犬をからかっているうちに、誤って醤油煎餅を飲み込んでしまう。
そのうち、だんだんと王子との約束そのものを忘れてきた。

犬に見せびらかしながら、
「何で、わたしはここで食べてるのかしら?モグモグ」

食べ物にも、それを与える者にも、貴賎無しに生きてきた犬は辛い。
スズメのおこぼれでも構わない。
落とせよ、落せ〜
庭に出るなり、その場所を真っ先に確認する癖も付いた。

ガラガラと戸が開く。
「ちぇっ!」と犬は飼い主の元に走り寄る。
犬も賢く、飼い主の足元では、決して失望の表情は見せない。

飼い主の知らないところで、犬には犬のドラマがちゃんとある。

人間の知っている事なんて、本当に本当に、犬の生活の一部にしか過ぎないんだよ。

客人と犬とその狭間の飼い主

客人が泊った日の前日は吹雪だったために、まる2日間、オイは、ケージの中で過ごした。

特に客人が来てからは、子ども達に騒がれないように、隠れるように排泄を済ませては、またケージに戻る。真夜中に庭で風に当たったり、ほんのひと時を外で過ごした程度。

子どもはどうしても犬が見たいとせがむので、「子どもが嫌いな犬で、吠えて噛み付く」と予め宣言しておき、最初とお別れの挨拶だけをさせた。(嘘を指摘されずに、助かった) 

「動くと、即座に噛み付くからね」と言い聞かされ、固まっている子ども達を、オイはまず不仕付けに嗅ぎまわした。それをたしなめられると、私の足元に隠れて座った。最近、こんな風に都合が悪いときには、私の脚を楯に使うこともある。

(話は飛ぶが、オイはダンナに呼ばれて、「起き上がるのも、面倒くせ〜な」、と言う状況になると、まるであたかも、「この人に“待て(動くな)”と命令されてるんすよ。仕事中です」と言うように、ダンナを避けて、私の顔をジ〜ッと見つめる。ここら辺の演技が絶妙。ダンナ、「けっ。また邪魔なお前か?」苦々しく私を振りかえるけれど、その足元でまだ私を熱心に見つめ続けてる。仕方ないから、「そうだよ〜。良いコだよ〜」と調子良く合わせて、フォローを入れてやる)


ウチを訪れる客は、皆が皆、オイを見て「可哀想」と言う。
例外が無い。暗くて寒い納戸のケージの中で「閉じ込められている犬」を見て、温かなリビングのソファの上でくつろぐ犬を「当たり前」と思っているなら、それも当然だろうと思う。お茶を飲みにやって来たT蔵(敢えて呼び捨て)は、私が宅急便の代引きに呼ばれている間に、オイをケージから勝手に出していた。
「バカに弄られると、犬はバカになる!」と引き離して怒ったけれど、やつにはその意味は判るまい。

猟師とか、プロの犬だと周囲も一目置いて一線を引くが、何てこともない普通のオバサンに飼われた平凡な犬とは、世間との折り合いが一番やっかいな立場に置かれる。




                         


子ども達が帰った後、オイは雪の上に残った、よそ者の匂いを、いままでにないような勢い取って、ストレスを発散させたようだった。

私(1人)が見送りを済ませて、帰宅した時、オイはダンナとリビングでリラックスしていたけれど、迎えに来たその顔が、分離不安の「えばった」文句言いの、イヤ〜な顔になっているのが見てとれた。

しかし、それでも、まぁとにかく、今朝、軟便(しかも、とても臭い)をしたけれど、よくこの程度であの神経質で理解力の低い犬が持ちこたえてくれたと思う。


さて、非常時は過ぎ去った。また昔懐かしい農家の軒先犬に戻られよ、オイ。雪が降っているが、氷点下にはなっておらず、久しぶりに庭に繋留する。

「ちょっと!ウチに入れて」 

オイ、ケージの生活に慣れて、もう外での自立の心得を忘れている!

こ、これがオイなんだよね。

南の国の客人

「俺は嫌なんだ。しかし家に泊めさせてくれ。だけど本当は嫌だ」

そこまで言うなら、お断りの言い訳を私に考えて欲しいのかと思われるダンナに、南の国の客人、母&子2人の1泊2日の世話係を言い遣った。
「どーすんの?はっきり決めてよ」
ダンナも現地でお世話になっておるし、どうしたものかと思っていたら、「俺、我慢する。泊める」と苦々しい顔で、ついにダンナの決意表明あり。結局、我が家に一泊する事となった。

夕食時。用意されたものが気に入らないと、怒鳴りまくる子どもに唖然。子どもの言いなりに私を遣う母親にも正直、驚いてしまった。
その上、「これでは子ども、お腹が空いて我慢できません。後で買い物に行きます」と言われた時には、脳天から痺れが走った。

マージャンに逃げていたボケ ダンナの帰宅を待って、ただちに大雪の中を、自分達の好きな夜食と、明日の朝食用の食材の購入していただくために、スーパーに送り出す。

しかし翌日もまたダンナ、「俺、関係ない」のスタンス。そういえば姑の法事の時も同じだった・・・・と、過去の憎しみまでもが、ぶり返す。

それでも子どもは食さえ満足ならご機嫌で、ニコニコしながら旅立つのをホームで見送った。私もいろいろ不行き届きであったと反省しつつ、夕食の食材を買い求め大急ぎで帰宅。ダンナ、テレビに夢中。オイだけ寄って来て、足元から外出を責める。



「異文化交流って、難しいわ〜」



「あれはねぇ、異文化交流なんかじゃなくって、シツケされない、ただのワガママ」


俺を煩わせず、不平を言わず、どうして万事、上手く運べないんだ。失望と軽蔑と拒絶を背中に滲ませてるダンナの方が、よっぽども距離感を感じるね。

今夜は早々に夕食をとって、3方に解散。





お願いされる

ポストから持ってきた手紙を、のんびり庭の椅子に腰を降ろして読んでいた。
すると、ある事に気が付き、涙がジワ〜と滲んできた。

内容物に食料品な〜し!と高鼻で確認したオイが、また背中を向けて昼寝に戻ろうとして、いきなり振り返って、私を見つめ直す。その目が、まん丸。

「あんた。まさか・・・?泣いてんの?マジ?」

間違いなく、オイは私にその時こう言った。

心通わぬ私達だけれど、一緒に暮らす人と犬には、こうして種族を超えて極極、稀に「会話」は出来るものなのだと知った。

排泄に行きたいとオイが伝えてくる。あのコの目の表情と姿勢で、それは解る。これも「会話」と言えば会話なのだけれど、経験がモノを言うだけであって、先のものとは違う。
その直後にダンナに「オイ、風呂場で水飲んだぞ。喉渇いてたんだなぁ〜」などとも言われたりするので、ハズレもある。

オイの気の小ささには、他人事とは思えないほどで悲しくなる。そして私の手に負えない、bitchだと、憎らしくなることなど、しょっちゅう。

けれど、時々、犬とは思えない顔で
「しっかりしてくれないと私、堕ちるわよ。悪態を私につかせないで。お願い。しっかりして」と伝えてくる。どうやってもオイの信頼など爪の垢ほども勝ち得ていない私でありながら、オイは私にそう言う(ように思う)

「そうか、そうか。お前って、私以上に深いんだなぁ」と感謝の気持ちで、身を正す。



節分は大切な行事と考える犬

私の今後の方向付けがなされる年から、その芽を伸ばす年へと変った節分。

その30分前になって、朝からの雪かきで疲れてソファでウトウトしていると、
ダンナに
「おい、豆まきするんだろ?」と起される。
風呂上りのダンナはパンツ一丁のホヤホヤの身体で、豆まき態勢に入っている。
どうして?

そうだ、そうだ! 
とっても愉しみに用意しておいた節分用のお豆!
ガバッっと起き上がって威勢良く、雪がシンシンと降り積もる庭に投げる。
家の中にも投げる。
オイも年の数だけお豆頂く。
その後、オイに拾い食いされないように落花生たちは撤収。

翌日の今日。
日も暮れて、家中のカーテンを閉めて・・・としていたら
付いてきたオイが妙な動きをする。
あのコの進入禁止の台所とダイニングに進入するほど
何か浮き足立って、私から逃げて行く。


そのルール違反を咎められ
這い蹲るように、耳を落としながら私の足元にやって来たオイ。

真剣そうなその顔の口元に、殻付き落花生が1粒、顔を出している。
まるで出っ歯の差し歯のように。

笑いが止まらない。





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