愛想無しの犬を良しとする その1
オイと一緒に遊ぶのは、愉しい。単細胞だなぁ〜、キミはぁ〜。しかし、とにかく一生懸命で可愛い〜。
何か作業をさせて、思うようにオイが動かないときは、『違うねぇっ!』と態度や顔で不合格をバンバン私は出す。オイ、すごく前向きな(単純系)、真面目顔になる。
やがて成功する。褒める。しかし単純さんは、相変わらずの真面目顔である。もっと嬉しそうな顔でもすれば良いと思うが、そうはならない。
時たま、褒めてやっても、『ケッ!』という顔をする事もある。これは、『こんなケチな事させずに、もっと面白いことさせなっ!』というオイの罵声だす。
それとは逆に、『いつまでこんな事させられているのでしょう?』とみじめったらしい顔で、心元無さそうに尋ねてくる事もある。これも服従訓練なんかやってる時に多い。オイにも生意気さがあり、私にもポイントを外した未熟さがある。
こんな風に私とはまだまだ心の距離を置いているオイではあるけれど、しかし、作業を入れた遊び、と言うのか、遊びを入れた作業というのか、その調合具合があのコにピッタリくると、『さぁ、次は何を?』とひたすら真剣な表情で、熱く見つめてくる。
これを見ると心底、オゥシーとは人と遊ぶ(作業する)事が好きな犬と感心する。ノー・リードで走り回って、犬同士で好き勝手に遊んだり、単純運動で体力消耗されて、絶対、happyになる犬じゃない。人との共同作業の成功こそが、あのコたちの生きるエネルギーだと信じてる。
オイの場合は、何か『出来ない事』を責められ、それを自分で可能にさせた時が一番作業意欲に火が付いて、生きる喜びを感じている時。この後、意欲がグングン加速する。飼い主としての“私”は、オイの心の中にどのように存在しているのか、まぁ、以前に比べて毛が1本多く生えたくらいの変化だろうけれど、それでもこういう時間も良い。
やらかす失敗の大抵は、大抵、生意気さと気の小ささから起るように思う。この2つは原因と結果のどちらにも成り得たり、同時に発生したりしているように見えるので、あんまり区別して考えない。
それでも初めての場所で、何かの気配が気になって仕方ないのに、命ちじめる思いで、それを無視しているオイのほっそりした肩を見ると、なんて健気なんだと思う。たとえオイがビッチであったって、自分を超えたオイならば、そんなことにケチを付けられない。
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