ギニア・ピッグとザビエルと親鸞和尚
答えが欲しくても、なんとなく待っていれば、どこからか答えがやってくる事がある。
予感が働いたりする。
人との出会いも含めて、世の中の全ての事象。
ドラマティックなものは、私のような磁力の弱い人間には滅多にないのだけれど、それでも、ささやかなところで、
『ほらほら。ただ待っていれば良かったでしょう?』
と思うことがある。
『ギニア・ピッグ』って、何だかご存知?
『どういう生き物なんだ?そりゃ?』
好奇心に駆られながらも、調べずに転がしておく。
すると、そう日を置かずに、思いがけないところで、この文字が目に入る。
答えがわかる、この偶然。
面白いねぇ〜。
暇つぶしに手に取った本。書店カバー付き。
『国家・宗教・日本人』
司馬遼太郎・井上ひさし。
フランシスコ・ザビエルが、未開の野蛮人の国、日本で布教していた時のお話のことが書かれていたよ。
私達、日本人は彼に、“大天使・ミカエル”に捧げられちゃったんだそうだ。
そのザビエルが日本で布教活動中に、ある男が、真面目に真面目に
『神様が世界をおつくりになって、何でも見そなわしているというのに、どうしてわれわれは発見されるのが遅かったのでしょう』と訊く!
このオトコ!
私の前世か、色濃く私にDNAを繋げた祖先じゃないのか!
このオトコの持つ、純朴さ。素直さ。思考の浅さ。悪気の無さ。滑稽さ。
自分に非常に似たものを感じるよ〜。
こんなところに居たのか。
冴えない無教養の風貌だったらしいのも納得で、そんな点も余計にいとおしさが募る。
ザビエルもカトリックの本部に、このオトコの事を報告し(故に結果、後世までこのオトコの存在を知らしめてしまう)、自分はこの地で適任ではないかと悩んで相談したという。
いい人だったんだぁ〜、フランシスコ・ザビエル!
もう1つ。
親鸞和尚のお話。
あるお坊様が
『並阿弥陀仏を唱えると本当にお浄土へ行けるんですか』と尋ねる。
それを受けて、親鸞、
『私もわからない。ただ大好きな法然さんがそうおっしゃるから、私はそうだと思っている』と答えちゃう。
死ぬことを考えると(阿弥陀如来によって万人が極楽浄土に導かれること)、この歳になっても、ちっとも楽しくないよなぁ〜と、語り合う2人。
この正直さ。おおらかさ。
堪らないねぇ〜。
親鸞であっても、親鸞だからこそなのか、嘘なく語る。
宗教が違うから、ザビエルと親鸞の答えは違ってくるのだけれど、なぁ〜んだ、偉人(聖人)と言われる人たちも、心の内は結構、人間臭いのね。
そしてとても真面目。
でも、まぁ、犬がどの方に付きたい?と(阿弥陀如来でも神にでも)訊かれれば、あのオトコ以外で頼みます、とは言いそうなことは確かだわ。
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