スピリチュアル・メッセージをこう考える (その2)
さて、さて。
このオイの言葉を私に伝えてくださった方は、自分の意見は入れず、メッセージをそのまま伝えるだけ、自分を筒のようなものよ、とおっしゃいました。本当に淡々としていて『お仕事』をされているだけなのです。私は信用に足るどころか、思いもかけないことの連続で、非常に、貴重な素晴らしい体験をさせていただいたと思っております。
ここで、オイの言葉を、自分なりに消化してみます。
オイは今の生活を不平・不満に思ってはいないこと。人間の家族と暮らす犬でありながら、1人(1匹)の生活を受け入れ、幸せであることを何度か聞きました。
1匹でも生きていけるという犬の幸せ。
これは本当に痛い。
強いリーダーの元で暮らすことこそ犬の幸せ!、群れで生きる動物の犬が、『ひとりでも良い』と言うのは、相当な諦めが人間に対してあったのでしょう。これは痛烈なメッセージです。痛いよぉ〜!
(*ただメッセージを届けて下さった方は、スピリチュアルな観点からか、ちょっと違ったニュアンスを感じていらっしゃるようでしたが)
餓えや寒さを味わっただろう野良だか狼の時代にさえも、オイは『幸せだった』と言っているのですから、犬の感覚の概念や価値観の違いから、『不幸』って無いんじゃないかしら?もしかして。
それから、ひとり遊びでも平気というのは、意外な言葉でした。実際には、非常に私と遊ぶのが好きなように見えます。
『あなたが楽しく遊ぶ私を望むのなら、そうましょう』とオイが健気に演技しているようには、とても思えん。
しかしですね。ここにも判るものがあります。
一緒に遊んでいるように見えて、実は、たったひとりで遊んでいる犬と人間との関係があるのです。これは以前指導を受けていたトレーナーさんから、教えていただくまで、私も判りませんでした。
視点を変えて観察すると『なるほど〜』目から鱗でした。
特に犬の本能を生かすスポーツ(アジリティやフリスビーなど)だと、犬は飼い主をたとえ信頼していなくても、それに関係なく高い性能で応えられる生き物のようです。遊びにすがる、といった方がふさわしい場合もあります。日頃の生活のストレス発散に使うとかね。
そう考えると、オイの言う『自分ひとりで遊べるからいいよ』が、ぴったりなのです。
決して、実際にひとり遊びをするコではありません。(あるいは、ひとりでボケーとしてるように見えて、遊びの感覚なのかも知れないが)
中途半端な遊びや構い立てなど要らん。放っておいてくれ、うざいから、と言うことなのでしょうか。
『服従訓練などの訓練』と『遊び』の境界線を意識しておらず、ごっちゃになっているようにも感じましたが、様々な場所で行なう『我慢の訓練』。
これは訓練として、しっかり認識しているようでした。伏せたまま動かず、犬や子どもが通りかかろうが、お前は動くなという訓練です。一生懸命、オイなりの限界で応えている姿を、何度も目にしています。これは私もストレートに納得です。
このことについて書いてると、涙が出そうです。あのコは相当怖いはずなのに
『私のために頑張っているんでしょう?だから私も付き合ってあげなくちゃ』と思っている。
ガラス玉の虚ろな目であっても、その奥底に想像していたものが、違っておりました。
ここで一端、鼻をかみます。
それにしても、
そんなに私の想いは、空回りしておったのか?


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