スカーレット・オイのサバナ日記

オーストラリアン・シェパード - 悪行は風と共に去らず-
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興奮を抑えられる犬にするために その9

2007/06/30 10:12 

昨日のブログ記事を読んでいただいてると解りやすいのですが、例えば、ダンナが帰宅時にするオイの挨拶です。
私のコマンドに停座していたオイが、ダンナの顔の接近と供に、耐え切れなくなって、腰を浮かすポイントがあります。そして顔を舐めようと立ち上がる。
これがオイの、『我慢・緊張の限界』を越え『興奮』に走った瞬間なのだなぁと思うのです。つまり、コマンドを与えておいた私への内なる恐れが、ダンナへの内なる恐れに負けた瞬間でもある。

嫌な事に直面しても、それを消化(無視)できる強い精神力も欲しいのです。それが出来ずに、興奮して発散なんかしないで欲しい。問題犬の矯正とは、興奮を発生させないだけでは不完全で、抱えてしまった興奮を自分で抑えられる精神力を培ってやることも必要。

B.自分でストレス(負荷)を消化できるようにするために
●我慢の停座訓練を家の中から始めました。最初はタイマー片手になんと3分から! その後、指導を受け初め、時間も延長。序所に場所を移動しました。また停座から伏せへと姿勢も変更。
いきなり、犬の限界を超すような強い負荷を科すことなく、序所に負荷を強くし消化力を高めました。
●繋留には、良くない天候の日もあります。雨の日に、人を頼って家に入れて!ではなく、自分でハウスに非難する。暑い日は穴を掘って涼む。こうやって頭を使って、ストレスに立ち向かう力を身に付けさせる。
●コマンドには日頃から絶対服従
雨の日のガレージの中の停座訓練で、私はオイが『盲導犬の血筋が自慢のラブ』に吠え掛かった時に、ガンとショックを入れました。
『通りかかった犬なんて、痛く(怖く)なかった。(痛い)怖いのはこの人の方だ。じっと良いコにしていよう』と、犬は思えるのではないか?とその時、思いました。

一時、犬は痛くて怖い思いもしますが、怖い相手がキチンと制御出来る人が相手であれば、吠えやジタバタして自分を余計に興奮させてしまったり、また相手の犬を刺激することなくて済むのです。
通りかかりの犬なんて、ただ通り過ぎるだけで、襲ってくることは、実際にはまず無い。なのに恐怖に取り憑かれしまう犬の関心を、こちらに寄せてやる。
そして犬が、『うわ。頑張ったら褒められちゃった。この怖い(強い)実力者の方に。嬉しい!』と思えたら、それが本物の陽性強化なのだと思います。
実際には、これも難しいことです。犬の恐怖が対人、対犬のダブルになってしまう失敗もあるし、またオイの場合はそれで済んだけれど、これに余計に興奮して、人を攻撃する犬もいるかも知れない。
その直接の解決策にはなりませんが、下準備として、犬に『このコマンドには従おう』 『このコマンドには従わない』 『楽しい』 『楽しくない』などと選択枝を与えず、いつもコマンドには絶対服従であることを示し続けること。
突然、犬が思わぬ反応をして、計算外に困った事態に陥ることもありますが、そういう時でも、絶対、犬に対して引かない、強気の人でいること。静かに落ち着いて、解決法を見出すこと。

何かにパニックして走り出す犬を制御するほど、難しいものはないように思えます。
N先生の言葉ですが、『犬の命を守るために』シツケや訓練が必要だと考えるならば、飼い主には『誰よりもウチの母さんは強い。こんな人に守ってもられるから、安全なんだ。言う事を聞いていれば間違い無いんだ』と、どんなケースでも犬に思い込みさせられるだけの、厳しい面も不可欠になります。
絶対に『ウチの母さんは、楽しい。こんな人に守ってもらえて安全』とは、ならんでしょう? 


* 犬にショックを入れる事は、とても危険な行為だと思います。コツの判ったプロにしか危なくて出来ないとおっしゃった訓練士さえいらっしゃいました。自分の体験談に基づいて書いているものですが、それをお薦めしているものではありません。
またN先生の指導を受けて、こう自分は考えるようになったというもので、正確に理解しているわけではありません。




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興奮を取る 頭を冷静にする その8

2007/06/29 14:35 

他にも、オイの頭を冷静にするために、下記のことを行いました。
頭を興奮させたまま、命令に従わない!と犬にチョークでショックを入れたり、リーダーに従うのだ!と様々な強制訓練を入れるなんて、考えられない事ですね!

A.興奮をさせない暮らし
興奮させない事は、興奮を発散させて解消させる暮らしと、全く違います。充分な運動をさせていたオイですが、まったく興奮からは解放されませんでした。
『運動で満たされること=犬の幸せ、興奮の無い暮らに行き着ける』事など嘘だという事。自分達が、その点で、すでに充分に生き証人になっていると言うのに、指摘されてもすぐには理解できませんでした。

●散歩に行かない
N先生の指示を受けて、適切だと思われる訓練・運動・遊びは行いましたが、飼い主を信頼もしていない犬が、外を歩いても何も良いことはないこと。
関係が落ち着いてきた頃、散歩にも出かけるようになりましたが、これは運動や気晴らしとは、まったく違った意味になっていました。
●当然ながら、フリーにして遊んでいた河川敷・お山の遊び時間とサヨナラ。
●アジリティを辞める。
他にも、ドック・ショー、訓練競技会、フリー(犬とのダンス)の講習会を見学しましたが、一番犬に興奮させるスポーツが、アジリティだったように思います。オイに一番大切なことは、障害を駆け抜ける楽しさでもなく、興奮を消し去る事に他ならないので、これは引退。
またオイには、アジの訓練中に、喘息のような呼吸もあり、ハードル跳びは、私とオイの遊びになりました。
アジリティ自体に問題があるというのではありません。それを楽しめる側と、そうでない側があるという事で、自分達は後者だったということです。
●シツケ教室の脱会。家の中でも出来ない事が、シツケ教室のあの犬達の興奮の中で、出来るわけがない。シツケ教室は、他でも充分に出来るようになってから。私にとって、ものすごくレベルの高い、緊張・試練の位置づけの場所です。
●他所の犬と遊ばせない
この時ほど犬が興奮する時間も無いと思います。
●繋留・ハウスの活用
外部の刺激に晒されない工夫をしました。

●犬に興奮させない人間側の接し方。
これは具体例をいくつか挙げてみます。人は犬に興奮させているのを、喜んでいると勘違いする事が多いようです。これも指導を受けるまで、さっぱり判らなかった。
かつてTVで良く観た、ムツゴロウさんの、『ヨ〜シ、ヨ〜シ〜ッ!』
あの犬の構い方は、犬の興奮を煽り立てると思います。
サバンナ日記にも書きましたが、問題行動の相談を受けて訪問した先で、ムツゴロウさんは犬をガサガサ撫で廻します。犬は嫌がって、気分が悪いと咬み付いていた飼い主さんに助けを求め、あぁ、こんなに関係が良くなりました!で、彼のアドバイスは終了したのを観て残念でした。

またアジの練習で、コーチがオイの背中を、それに良く似た方法で撫でていました。後でコーチに伺いますと、それは、『犬を興奮させる行為』だそうです。アジの訓練で興奮が必要であれば、当然の事だったでしょう。

動物病院の待合室の片隅をお借りして、停座訓練をしていた時です。オイの目が一挙に野生の険しい目に変りました。びっくりして視線の先を追うと、1人の獣医さん。執拗にその方だけをロック・オン。
この獣医さんだけが 『良い子ねぇ〜。ブチュ』キャピキャピ系なんです。そして、この先生の時に、オイは酷く大暴れし、挙句補てい助手として数人が呼ばれておりました。

またその逆のことも。
オイを犬の美容院にお迎えに行った時のこと。受付に『キャ〜!オイちゃ〜んっ!』とする方がいなかっただけで、私はいつもなら暴れるオイに振り回されることなく、ショップで買い物さえ楽しめたのです。
これを自分がオイとの生活を、見直した成果だと勘違いしてブログに偉そうに書きましたが、実はオチはここにあった(笑) 後から、わかりました。

私の懺悔も追加。
アジの練習場で、ビアデッドの男の子が飼い主さんを待っていました。ウハウハして、そのコの名を呼び、『可愛い〜』と叫びますと、そのコも大はしゃぎ。そして、あっという間にシラ〜と、態度を豹変させたのが面白く、何度か繰り返したのですが、その都度、同じ結果に。

犬が喜んでいるのか、ただ興奮しているのか、その違いが解りますか?
いずれにしろ、シツケに悩むほどの人間嫌いのオイが、心から人を歓迎しているとはとても思えないし、この種の興奮・行動をオイにはさせられません。
オイに冷たく接する理由の1つ、他人に犬を触らせないの理由の1つは、そのためです。他にも理由があっての事ですが、意地悪や独占欲とか、いう訳ではありません。



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犬を繋留することのメリット 補足 その7

2007/06/26 13:23 

・・・・というタイトルですが、犬の庭での繋留をお薦めするわけではありません。念のため。
N先生の指導を受けて判った事(自分なりの理解という範疇で)と、オイの変化に、庭での繋留が影響したと思われることを記載しておきます。勘違いもあるかも知れぬ。

● オイの吠えは完璧に治まった訳ではありませんが、手の付けられなかった興奮や、神経過敏も大分治まりました。
先日、偶然空き地でシツケ教室のE先生と会って、話していた時、ノー・リードのコリーがフラフラと先生のG・シェパとオイのケージに近づきましたが、ウォンと1回吠えただけのオイの方が、ずっと態度が宜しかった。
繋留によって、通りを歩く人や犬に神経を尖らせる業務からオイは解放されました。それがあのコの頭を少なからず冷静にさせることに役立ったのは、間違いないと思います。

● 矯正最初の頃、オイが通りを散歩中の人と犬に吠え掛かってしまった事がありますが、この時のN先生の言葉は、『犬に吠え掛からせるも、噛み付かせるも、飼い主の緊張感の無さは一緒』でした。これにはグウの根も無かったことを覚えています。
また私は不注意から、オイにソルダムの種を飲み込ませてしまって、獣医に行く羽目にもなり、非常に気を揉みました。フリーにされた矯正中の犬に、人がいつも緊張感を持って、注意を払い続けるというのは、殆ど不可能に近いと思います。

● また、オイをもっと早くから適当に離れた距離に置くことを心掛けていれば、数々の酷いイタズラや失敗でオイは叱られることもなく、人間に対して嫌なイメージの刷り込みも無かった。オイが人間不信になっても当然だったと思う思い出、多数。

● 今では忘れそうですが、オイは『呼ばれても来ない犬』でした。
人間側としては、呼んでも来ないよ、チェッ、気分の悪い犬!程度でありましたが、犬の潜在意識の中には、あの人に呼ばれても行く気がしない。 → それがまかり通る → そんな事も私にさせられない無能なあの人 → 言う事聞く価値無〜し、の構図のおさらいを毎日毎日、オイに欠かさずやらせていた事になります。
なので、コマンドの失敗はあってはならない事です。
これは本当に難しいんですよ。最初の頃は、犬も簡単に言う事など聞きゃしないので、お味噌汁が沸騰して煮詰まろうが構やしないと躍起になってやります。そのうちに犬は当たり前のように従い始め・・・しかしヒョッと隙を突いてくる。格闘家で言えば、オイの方が絶対に格上で、繋留無しでは飼えないとさえ、今の私は思います。

● また、オゥシーという犬種は外飼いにふさわしいこと。
● 音などの外の環境に慣れることなどもあります。
● 犬と一緒に旅に出たり、外出するのであれば、犬を繋留する機会は意外と多い。その時に、不安な場所でいきなり慣れない繋留をするのではなく、もっと落ち着いた家の中や庭で、少しの時間の繋留から慣れさせておく。
● ご近所のご年配の方には、勝手に門越しにオイにオヤツを与える方も数人いらっしゃいました。アンパン、さつま揚げなども与えられたと聞きました。自分は酷い飼い主だったと思います。

● 庭の繋留には、日射病の心配や、思わぬ事故、距離が離れることで犬の異常を即座に発見しずらい欠点もあると思います。

最後に。
親バカの飼い主には、今まで与えていた快適な生活を、犬はどれだけ恋しがっているだろう、『なんで?』と、人に裏切られたように感じていないだろうか?と胸が痛みます。刑務所に送られたパリス・ヒルトンとそのママの後悔に似ていますね。
それを抑えて
『お前は庭で過ごすのが当たり前』くらい、いつでもリーダー然として犬を迎えるのでなければ、繋留はするものでない。犬が理不尽さを受け入れ、やっと芽生えさせたものを台無しにしてしまうのなら、何もしない方が良い。

犬のシツケ・訓練とは個人実力主義であったなぁ〜。
だから繋留や我慢の停座のメリットを書きましたが、どれも、『誰にでも簡単に出来るよ』というお薦めではないのです。まったく。




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どうして犬に負荷を与えるのか その6

2007/06/22 13:12 

犬にですね、楽しいお仕事を与えるとメキメキ成長します。

オゥシーと暮らしていたら、アジリティとかフリスビーなんかの競技に惹かれます。こういう犬の特性を活かしたシツケ・訓練であれば、犬にも負担無しで、お互いも楽しめるし、これは素晴らしい!って思います。いや、その道のオーソリティの犬達を見て、『ここにはそれ以上のものがある!』感激するかも知れません。

それとは逆に、犬の特性にプライオリティを置かず、犬の体を拘束し、停座・伏せ訓練を入れたり、様々な負荷をかけたりして、『諦め』 『我慢』 『忍耐』 『義務感』を培わせるというと、何だか犬を虐めているようです。

最初は鼻息荒く、いきり立って始めますが、『犬に服従を強いれるほどの価値が自分にはあるのか?』『犬を何とかするなんて、人間の傲慢さではないのか』 やがて心の中に芽生えてくるものがあります。内なる葛藤をねじ伏せて行います。暑さとか寒さ、膀胱の限界との戦いも辛いけど、こちらの方も辛い。
その上、関係の無い、他者からも冷たい視線や好奇心を感じます。
『犬の信頼を勝ち得る事と自分の立場(保身)と、どちらが大切なのだ?』これまでおまけに付いてきます。

やがて従い始めた犬を見て、征服・達成感に快感を覚え始めます。その時こそ、傲慢な人間に成り下がってしまっているというのに気が付かない。自分が犬に何を求めたのか見失う。そして我に帰る。

これは犬も辛けりゃ、人間も辛い。
しかし犬はもっと辛かろうと、鬼の教官を演じ続けるわけです。


でも、こうやって涙の鬼の教官の手で育てられた犬には、恩恵が付きます。

何時間も車に揺られる。ケージに閉じ込められる。リードに繋がれる。お湯を掛けられ、泡立てられて、熱い風に当てられる。爪を切られる。ブラシをされる。注射される。口にブラシを入れられる。怖い人、犬、得体の知れない子どもという生き物との遭遇する。

そんな時、飼い主の命令に、自分の我など無く不平なく従えるコとは、心身に負担の少ないコです。嫌がって暴れるコは、興奮して暴れて、自分で自分の恐怖を煽って、窮地に追い込まれて行く。

楽しさだけでワガママに育てられたコとは、いつも楽しさと引き換えの、『何か』です。自分の中で選択枝を持っていて、より強力な楽しさに惹かれたり、不愉快なことは素直に受け入れません。受け入れたとしても、かなりの精神的な混乱が伴うはずです。

犬は楽しく暮らすべきです。
なのにワガママな犬は、面白おかしい毎日を送っているように見えて、不幸なことも連続して起ります。我慢や諦めを知ってるコは、それから解放されます。
エゴで生きてる人間が、犬のエゴを取り去って、自分で背負ってやったからだと思えばいいのかも知れません。

こういう精神性を培われたコと、それを可能にした人間であれば、やがて犬の目は活き活きと輝き出して、服従とか忍耐とか、そういうものの辛さからさえも解放されるそうです。
我慢や忍耐のシツケ・訓練が敬遠されるのは、その趣旨を理解されなかったり、到達点までいけずに、失敗している多くの人達とその犬を見るからです。

けれど、そういう方法ではなく、犬の欲を満たしてあげる楽しい関係を突き詰めていけば、犬にも精神力が培われると信じる人は、そうすれば良いと思います。
しかし、その関係に辿り着くまでにかける犬の負担を思うと、私はそれを選択したいとは思いません。

以上、JO母の想うことです。語ってはみましたが、犬のシツケ・訓練は個人実力主義なので、だから何なのさ?と突っ込みも自分で入れながら。(あ、だからと言って自暴自棄になって落ち込んでるって訳じゃないのよ〜ん)



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犬の矯正、その前に その5

2007/06/18 10:02 

リーダー(上位の)犬の『意図・命令』を察して、下位の犬が動く。
下位の犬の『意図・命令』を察して上位の犬が動く、そんなわけありません。(以下、文章の全てに“私は思う”を付けてくだされ)
アイ・コンタクト下だって、下位犬から、リーダー犬に注がれるもの。

犬はリーダーの意志を感知し、それに応えることに元々優れた生き物であることは間違いないのだと思います。そして、これが嘘なら使役犬は、この世に存在しないことになる。

私は狩り犬の訓練を、かつてシマにしていた河川敷で見学した事があるけれど、あれだけ本能剥き出しで鳥を追った犬が、獲物を目の前にしても、最後には静かにハンター(?)の到着を待つ。
家畜を追ったオゥシーも、やっぱり同じでしょう。飛び掛かっても、吠えても、大切な家畜を傷つけたり、自分勝手に走り回るなんて、許されやしませんわね。使役犬として強化されてしまった本能でさえ、もっと強い1つの本能が、それを押さえ込むことも可能なのだわ〜と思うのです。
そして、その本能とは、全ての基本、一も二も無く、上(リーダー)に犬は従う、だと思うのです。

で、あればです。もっと本能を押さえ込まれた、穏やかな暮らしをしているはずの家庭犬が、人の気持ちに沿わないのは、なぜ、なぜ、な〜ぜ? なぜシツケに苦労する?
どう考えても、それは犬が人間に大して敬意を払っていないというのが、筋と思います。あるいは、リーダーに従えないほどの危機的状況にあるのか。

ところで犬の矯正を行なうとは、訓練所に預けるのでもない限り、犬を悪くした張本人が行なうことになります。
『リーダーにならねば!』と気づいたところで、その日を境にまったく別の人格になれるはずもなく、同じ人間が日々の変化の中で行なうものです。

人間に対して敬意も払わず、適当に同調し、適当に小馬鹿にして生きてきた犬も同じことです。『座れ!』と命令されて、内心毒づいているやも知れん。うるさいなぁ〜。アホくさ。はよ食べ物、用意せんかいっ!ワレ〜、とかね。

なので、ワガママ一杯に甘やかされて育ったコに、古臭い言葉ですが、『諦め』 『我慢』 『忍耐』 『義務感』を少しずつ培ってやる必要があります。犬にだらしなかった人間の方も同じ。双方にとって土台・基礎の下の土ならしと呼んでもいいのかも知れません。

私は昨年、トレーナーさんのアドバイスを受けて始めたことは、まず僅かな時間からの犬の繋留と停座訓練(座って動かないこと)でした。
犬に大きな負担をかけることなく、少しずつ自分のワガママが通用しない事を悟らせ、序所に強い精神力を身につけていくこの方法は、私達双方に非常に思いやりのある方法だったと思っています。
(*しかしこの方法であっても、犬を混乱させたり、あるいは犬の努力を水の泡にするような行動を人間は取ってしまうことも多いので、やはり専門のトレーナーの指示を仰ぐのが、一番良いように思います)


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プロフィール

飼い主の私 JO母

Author:飼い主の私 JO母
J.O.(ジャッカル・オイ)のサバンナ日記の続編。

舞台をアメリカ南部の小さな町サバナに移し、『フンッ!』眉毛吊り上げ活躍中の愛犬。前世は黒人の奴隷だったと思う飼い主が涙ながらに綴ります。

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